2008年02月05日

街角の洋裁店

母がまだ若いころ
僕の手を引いて
この坂を上るたび
いつもため息をついた。


坂の多い街で育った。
関東近郊の新興住宅地で幼少期を過ごした。

世の中を等しく”中流”という大きな潮流が覆いはじめていた時期、
”所得倍増”などという威勢のいい合言葉が街を駆け抜けていた。
しかしその生活レベルは今のものと比べようもないほど、質素なものだった。

貧しくとも、明日への希望に満ちていた。
ヒーローはヒーローらしく世間一般の喝采を浴び、
現実世界においても、誰もが自身の仕事に誇りを持っていた。
(間違っても消防士が放火をするような、警察官が下着泥棒をするような、そんな病んだ心が引き起こす事件が、人々の哀れみの心と引き換えに許容されてしまう異常な時代ではなかった。)

欲しい物は無限にあるように思えた。
食べたくても食べれないもの、
果物屋のマスクメロンのような”憧れの食べ物”さえあった
日々新しいものが生まれる機運の中、
物欲は抑えなければならないという哲学を持った母の言葉と同じように歌う、
長い髪にパーマを強くかけたむさい男がいたが
まさかその欲望が枯れるほど豊穣に満たされた社会に自分が生きることになるとは夢にも思っていなかった。

そのころ母は少しでも生活の足しになるようにと、自宅の一画を割き、小さな裁縫店を営んでいた。
外で遊ぶことのできない雨模様の日など、そこにある”ものさし”や紙製のマネキンを遊び道具として使う小さなならず者たちの悪行に業を煮やし、時に母の容赦ない叱咤が浴びせられることもあった。
その竹製のものさしは有効な武器として、そのしなり具合は幼い子供にとって非常な恐怖でもあった。

その裏返しだろうか。
長じてからも何か癪に障ることがあると、そのものさしを折りにかかったり、紙製のマネキンに殴りかかったりしたこともあった。
その後不器用に修復されたそれらのものを見た時の心の痛み、それは今でも鮮明に思い出すことができる。

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この洋裁店を見かけたとき、そんな記憶が立て続けによみがえってきました。
posted by renn at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | シリーズ昭和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする