今日一番のイベント−WBC
先日終わったと書きましたが失礼・・・
まだ続いているようです。
その発言を訂正する意味もあり、ふれさせていただきます。
前回韓国戦後のイチローのインタビューに感じるところがありました。
Q:「勝った韓国と負けた日本の一番の違いは・・・?」
A:−20秒ほど沈黙の後−「・・・それが・・・あるとは・・思えない。」
王監督は「相手の勝利への執念が勝った」といいました。
マスコミは韓国選手の負っているものの大きさを挙げ、
「気持ちで負けない」流の精神論を持ち出す者もいました。
イチローの気持ちはよくわかります。
先の韓国戦2試合も「負けた」っていう感じがしなかったのでしょう。
国を代表して戦っているという強い思いもあり
決して技術や気合で劣っていたわけではないのに
何故か終わって見れば、相手よりも得点が低かったというだけのことに感じられたのでしょう。
「勝負は時の運」
あまたの人々がそう感じ、引き継がれてきた言葉です。
日本チームもこの試合の7回表、やっと時の運を捕まえたようです。
今日の試合も前半はいつものように
得点のチャンスが何度もありながら、ある種神がかり的な好守に何度も阻まれ
「どうしてこうなっちまうんだ」と思えるほどの歯がゆさを感じました。
鋭い打球は野手の正面に飛ぶ。
守備範囲ぎりぎりに落ちようとするフライは相手のファインプレイをさそう。
高く舞い上がった飛球は風に押し戻されフェンスぎりぎりで失速する。
まるで日本の勝利を妨害する何者かの意思がはたらいているようです。
このまま日本に点が入らず、またエラーがらみで先制点を許してしまうようなことがあると、おそらく勝利はなかったでしょう。
そして今までのアメリカ・韓国に敗れた試合と同じく、なんとも不透明などんよりとした敗北感を覚え、完膚なきまでに叩きのめされたというような、ある種すっきりとする、さばさばした感じを持つことはできないでしょう。
しかし福留が打ってから今までの停滞が嘘のように、すべてがよい方向に向くようになりました。
「流れ」という目に見えない、厳然たる存在があります。
そしてそれは人や、物事の調和を司っています。
今日の試合はその「流れ」が明らかに感じられました。
勝負の世界・スポーツの世界を通じて
またひとつこの世の不思議に思い至ったしだいです。
2006年03月19日
2006年03月11日
真実を伝えること
歴史というのは常にそのときの為政者の側から書かれるのが常であって、
二面性があるものです。
真実というのは時にひとつではなく、
パレスチナの正義と、イスラエルの正義が相容れぬように、
語る主が違えばそれはまったく別のものになります。
言語表現というのは
何を著すか、何を伏せるか
すべて執筆者の自由に委ねられるという特徴があります。
映像はそうはいきません。
映っているものはどこにフォーカスをとろうが、枠内にある限りすべて伝えられてしまいます。
真実を伝えるべき使命を負った、マスコミニュケーションといわれる新聞、テレビ、雑誌などの媒体においても、現代世界を等しく覆いつくす高度資本主義の論理に支配されてしまっているようです。
そしてその流れは、等しくこの世の枝葉末端にまで及んでいます。
かつて、真実を語ることで、正義を示す優越感に浸っていた彼らは、今では商業主義に毒されたような、非常に偏った表現がしかできなくなっているようです。
すべての事象につき公平な価値感を有し、森羅万象、すべて知覚できるくらいのバランス感覚を持ち、イメージを具現するように語ることのできる人間などもとより今の世では非常に稀有なものなのです。
たとえば広告の世界。
いくばくかの掲載料金をとり、レポートなどと銘打って
お勧めレストランなどの記事をWeb上に配置する。
多くのサイトが提灯記事で占められているということはみればわかることなのですが、
そんな記事があまりに多く流布しているものだから、それがあたりまえの表現のかたちなのだと思ってしまう図式ができてしまったようです。
ネット上の大多数の記事は、提灯記事流の表現様式に影響を受け、
「事実を羅列してるだけ」
「ほとんど何も語らない」、
という姿勢を持つのが、当たり前であるという認識ができてしまい、
多くのブログでは狭い円環で生きる者たちが、学芸会的にコメントなるものをさらしているだけのようなものばかりになり、個人が持つ固有の意見・感想などは一向に語られることはありません。
今回のトリノ五輪において、
真実を伝えるというところでは、かなり危うくなったこの国の報道の類型が見えました。
たとえば、スノーボードハーフパイプ。
事前の記事では、
ワールドカップにて日本人選手のメダルラッシュ!!!
五輪においてもメダル確実!!!
などと、視聴者を煽るような記事が多くみられました。
なるべく高い視聴率をとりたいテレビ局。
そこに宣伝広告を貼ってしまった企業。
その合間で、この一大スポーツイベントを盛り上げなければ「やば〜」などと思っている代理店。
その図式がよくわかります。
つまり・・・
スノーボード競技中継をゴールデンタイムに配するのは無理があり、
事実だけをみるなら、日本人選手がメダルをとる確率なんぞ、1パーセントもなく、
にもかかわらず、テレビ放映の妨げをしてはならないという深慮があり、
その結果が生んだ、今回の欺瞞だったのです。
実力の違いははじめからわかっていたのです。
競技の実況を見ていたとき、メダリスト・アメリカ人選手と
ちんけな倭人・小僧連中との演技力の違いなんて、
同じ競技という枠の中で戦っているのか・・・?
と疑ってしまうくらいの隔たりがありました。
有終の美、終わりよければすべてよし、などとは決して言えないでしょうが、
荒川選手が金メダルを取ったのは、アメ、ロシがともにこけたからだと
言える人はいるのでしょうか。
お祭りはあくまでお祭りでしかないのですが、
二面性があるものです。
真実というのは時にひとつではなく、
パレスチナの正義と、イスラエルの正義が相容れぬように、
語る主が違えばそれはまったく別のものになります。
世界のすべての歴史が間違って理解されている、ということがあるのだろうか。
過去はすべてその時代の愚かな民衆についてだけ語ったのだから誤謬である。
中心をなす一人の人間についてこそ語らねばならぬのに、それが未知でありすでに死んでしまった。というだけの理由で、有象無象の周囲の人垣をつくって、すむのだろうか。
〜マルテの手記
言語表現というのは
何を著すか、何を伏せるか
すべて執筆者の自由に委ねられるという特徴があります。
映像はそうはいきません。
映っているものはどこにフォーカスをとろうが、枠内にある限りすべて伝えられてしまいます。
真実を伝えるべき使命を負った、マスコミニュケーションといわれる新聞、テレビ、雑誌などの媒体においても、現代世界を等しく覆いつくす高度資本主義の論理に支配されてしまっているようです。
そしてその流れは、等しくこの世の枝葉末端にまで及んでいます。
かつて、真実を語ることで、正義を示す優越感に浸っていた彼らは、今では商業主義に毒されたような、非常に偏った表現がしかできなくなっているようです。
すべての事象につき公平な価値感を有し、森羅万象、すべて知覚できるくらいのバランス感覚を持ち、イメージを具現するように語ることのできる人間などもとより今の世では非常に稀有なものなのです。
たとえば広告の世界。
いくばくかの掲載料金をとり、レポートなどと銘打って
お勧めレストランなどの記事をWeb上に配置する。
多くのサイトが提灯記事で占められているということはみればわかることなのですが、
そんな記事があまりに多く流布しているものだから、それがあたりまえの表現のかたちなのだと思ってしまう図式ができてしまったようです。
ネット上の大多数の記事は、提灯記事流の表現様式に影響を受け、
「事実を羅列してるだけ」
「ほとんど何も語らない」、
という姿勢を持つのが、当たり前であるという認識ができてしまい、
多くのブログでは狭い円環で生きる者たちが、学芸会的にコメントなるものをさらしているだけのようなものばかりになり、個人が持つ固有の意見・感想などは一向に語られることはありません。
今回のトリノ五輪において、
真実を伝えるというところでは、かなり危うくなったこの国の報道の類型が見えました。
たとえば、スノーボードハーフパイプ。
事前の記事では、
ワールドカップにて日本人選手のメダルラッシュ!!!
五輪においてもメダル確実!!!
などと、視聴者を煽るような記事が多くみられました。
なるべく高い視聴率をとりたいテレビ局。
そこに宣伝広告を貼ってしまった企業。
その合間で、この一大スポーツイベントを盛り上げなければ「やば〜」などと思っている代理店。
その図式がよくわかります。
つまり・・・
スノーボード競技中継をゴールデンタイムに配するのは無理があり、
事実だけをみるなら、日本人選手がメダルをとる確率なんぞ、1パーセントもなく、
にもかかわらず、テレビ放映の妨げをしてはならないという深慮があり、
その結果が生んだ、今回の欺瞞だったのです。
実力の違いははじめからわかっていたのです。
競技の実況を見ていたとき、メダリスト・アメリカ人選手と
ちんけな倭人・小僧連中との演技力の違いなんて、
同じ競技という枠の中で戦っているのか・・・?
と疑ってしまうくらいの隔たりがありました。
有終の美、終わりよければすべてよし、などとは決して言えないでしょうが、
荒川選手が金メダルを取ったのは、アメ、ロシがともにこけたからだと
言える人はいるのでしょうか。
お祭りはあくまでお祭りでしかないのですが、
2005年04月24日
事件の加害者の立場から考える〜大阪、老人突き落とし事件
大阪市にて
鉄道のプラットフォームで乗客同士が口論となり
男(プログラマー、37)が老人(住職、74)を線路に突き落とし重症を負わせた。
男は後に報道された、自身の映る防犯ビデオの映像を見て「逃げ切れない」と思い自首した。
プログラマー(37)は「なんてひどいことさらすねん!」と皆思うでしょうが、彼には彼なりの思想があります。
プログラマー(37)の供述、「盲人用の点字ブロックの上に荷物を置いていたので注意したところ荷物を移したが、振り返ったら 荷物を戻していたので、無視されたようで腹が立った。」
現在絶対的な指標のない混沌としたこの国では、皆それぞれ法や条例に関する解釈があり、
人それぞれの道徳観の違いにより、良いことと悪いことを分かつべき線引きが違います。
実際、交通費の水増し請求、信号無視、路上駐車などの小悪は誰もが経験するところです。
何が悪で何が正義か、それを言いあてるのは至難のことです。
かなりの時間虚構の世界にあると思われるプログラマー(37)にとってみれば
いつ何時盲人が通行するやも知れず、重大な妨げになることを憂い、
福祉といったことに頓着しない、また周りに配慮しないこの住職(74)の行為は許しがたいものだったのかもしれません。
しかし住職(74)にしてみれば、檀家の金と死者だけが現実であり、人に説教する身でありながら(それは牧師だけだったか?坊主はしないのか?神の世界に疎いのでヨクワカリマセン。スマソ。)公共の福祉なんてモンはチャンチャラおかしいという具合でしょうか、別に法を犯しているわけでもなし、「お前にいわれたくない」そう思うのもむべなるかなです。
プログラマー(37)の言い方にも問題があったのかもしれません。
かっとなってすぐ人を攻撃してしまう人間はやはりどこか不具合を内包しているものです。
坊主のようなふざけた輩は「犬も歩けば〜」式に、うんざりするくらい多量に存在しています。
そういう物体にいちいち鉄槌を降していくのはそれは大変な労力です。
忙しい現代人は悪いと思う事柄を目にしても係わり合いを避け、いつしか自身の正の感覚を変質させ、義侠心は磨耗していきます。正誤についての価値観も多様化し、おのが正義を通すにはそれなりの精神的・肉体的な強さも必要な時代なのです。
以前に何度も言いましたが、
プログラマは法的に裁かれるものです。しかし住職(74)は人間として、道徳的に問題があります。
プログラマーの義侠心、正義感が誤って発露され、このような犯罪になってしまったのは残念です。
鉄道のプラットフォームで乗客同士が口論となり
男(プログラマー、37)が老人(住職、74)を線路に突き落とし重症を負わせた。
男は後に報道された、自身の映る防犯ビデオの映像を見て「逃げ切れない」と思い自首した。
プログラマー(37)は「なんてひどいことさらすねん!」と皆思うでしょうが、彼には彼なりの思想があります。
プログラマー(37)の供述、「盲人用の点字ブロックの上に荷物を置いていたので注意したところ荷物を移したが、振り返ったら 荷物を戻していたので、無視されたようで腹が立った。」
現在絶対的な指標のない混沌としたこの国では、皆それぞれ法や条例に関する解釈があり、
人それぞれの道徳観の違いにより、良いことと悪いことを分かつべき線引きが違います。
実際、交通費の水増し請求、信号無視、路上駐車などの小悪は誰もが経験するところです。
何が悪で何が正義か、それを言いあてるのは至難のことです。
かなりの時間虚構の世界にあると思われるプログラマー(37)にとってみれば
いつ何時盲人が通行するやも知れず、重大な妨げになることを憂い、
福祉といったことに頓着しない、また周りに配慮しないこの住職(74)の行為は許しがたいものだったのかもしれません。
しかし住職(74)にしてみれば、檀家の金と死者だけが現実であり、人に説教する身でありながら(それは牧師だけだったか?坊主はしないのか?神の世界に疎いのでヨクワカリマセン。スマソ。)公共の福祉なんてモンはチャンチャラおかしいという具合でしょうか、別に法を犯しているわけでもなし、「お前にいわれたくない」そう思うのもむべなるかなです。
プログラマー(37)の言い方にも問題があったのかもしれません。
かっとなってすぐ人を攻撃してしまう人間はやはりどこか不具合を内包しているものです。
坊主のようなふざけた輩は「犬も歩けば〜」式に、うんざりするくらい多量に存在しています。
そういう物体にいちいち鉄槌を降していくのはそれは大変な労力です。
忙しい現代人は悪いと思う事柄を目にしても係わり合いを避け、いつしか自身の正の感覚を変質させ、義侠心は磨耗していきます。正誤についての価値観も多様化し、おのが正義を通すにはそれなりの精神的・肉体的な強さも必要な時代なのです。
以前に何度も言いましたが、
プログラマは法的に裁かれるものです。しかし住職(74)は人間として、道徳的に問題があります。
プログラマーの義侠心、正義感が誤って発露され、このような犯罪になってしまったのは残念です。
2005年02月10日
私にも言わせてください〜W杯アジア地区最終予選対北
※昨日の記事です。
昨晩飲みながら勝負の興奮に駆られて
かなり民族蔑視の発言をしていまい、自ら記事を削除しました。
少し直し再度アップします。(ほとんど変わっていないような・・・)
2月9日(水)
ワールドカップドイツ大会アジア地区最終予選。
日本対北朝鮮が本日行われました。
前半早い時間に小笠原のFKにて得点するも。
その後、かなり攻め込まれる場面もあり、予断を許しません。
北チョソ(単なる略称です、この国の名前、入力するのが面倒なので、以後北とします。)ってこんなに強いのか・・・
事前の報道で露出したことですが、北の奴ら(尊称です、ある種の羨望の現れです。)「ピッチの中で骨が折れようとも死ぬわけではない」などとほざいていたようです。
将軍様のためという建前の元、何より勝利が、豪華アパートやら、ゼニなどに直結していると、
実力が劣ろうとも人間こんなにもやれるモンなのでしょうか。
この肉弾戦は旧日本軍のばりの’玉砕’って感じです。
日本チームもフランスワールドカップのときの「初めての切符を手にするか・・・」なんて緊迫感がないものだから、観客の雰囲気を盛り上げようと
一時、同点かなんかにしてあげる配慮もありました。
それはこの国に居住する、かの国同胞にそれとなく気を遣った所業なのでしょうか。
そしていつでも点が取れるのに、最後のロスタイムまで引っ張る周到ぶり。
みんな役者やな・・・おもわず感嘆してしまいました。
そして最後は神風が吹いて、共産主義の急先鋒をなぎ倒していく、
快哉を呼びおこす最高の演出です
まさに彼の国のお株を奪う国威発條を意図した、すばらしい筋書きでした。
それにしてもわが国。選手をはじめとして、お人よしの集まりですね。
自国民を拉致され、スパイ活動に強制的に従事させられ、
そんな人たちを助けるべく誠意を持ってのぞんでいるのに、他人の遺骨をもち帰させられ、
それに対し真実をさりげなく科学的に指摘してあげたら、何らかの陰謀、捏造だと言われる始末。
報道も大阪生野区かなんかに踏み入り彼の国の方々の様子を中継なんかして
これを機に、日朝友好だなんて語らせたりして、
いったい何が言いたいんでしょうか。
スポーツという政治を離れた平和の祭典を通じて、すべての理不尽を忘れろとでもいうのでしょうか。はっきり言ってこの国に住むかの国の人々の人間模様なんか興味ありません。
在日Jリーガーにも特別な感慨はありません。
スポーツと政治は別物だとは思います。
しかし北の奴らとはもともとスポーツに取り組む姿勢がまったく違うのです。
選手は皆軍人でもあるし一歩間違えば、戦闘護身術かなんか持ち出してきそうな風情です。
だいたい戦時体制下の思想統制にあるような国の状況を
我々と同じ次元では語れないのです。
しかしテレ朝、ここぞとばかり思いっきり引っ張ってます。
どの局も、皆横並びで同じ画面ばかり見せられる昨今。
NHKなどが声高に叫ぶ報道の義務(昨年のオリンピック中継の折、独占放映している柔道のいい場面をばっさり切って、報道の価値があるという独自の理論で、ちんけな地震報道をして、皆の罵声を浴びていました。)をあっさりと捨て、
報道ステーションを完全に「サッカー事後報道」にかえてしまう。
こういうチカラワザはむしろ心地良ささえ感じます。
賑やかしとしてスマップ蚊取りなども導入していましたが、
残念ながら出番はほとんどありませんでした。
まあドラえもんの着ぐるみが出てこないだけまだましです。
サッカーって言うのは不思議なもので、たとえ、僅差にみえようと
強いものが勝つようになっています。
次戦はイランが相手です。
今度は民族的な配慮など無しに、思う存分叩きのめすことができるでしょう。
そう願っております。
昨晩飲みながら勝負の興奮に駆られて
かなり民族蔑視の発言をしていまい、自ら記事を削除しました。
少し直し再度アップします。(ほとんど変わっていないような・・・)
2月9日(水)
ワールドカップドイツ大会アジア地区最終予選。
日本対北朝鮮が本日行われました。
前半早い時間に小笠原のFKにて得点するも。
その後、かなり攻め込まれる場面もあり、予断を許しません。
北チョソ(単なる略称です、この国の名前、入力するのが面倒なので、以後北とします。)ってこんなに強いのか・・・
事前の報道で露出したことですが、北の奴ら(尊称です、ある種の羨望の現れです。)「ピッチの中で骨が折れようとも死ぬわけではない」などとほざいていたようです。
将軍様のためという建前の元、何より勝利が、豪華アパートやら、ゼニなどに直結していると、
実力が劣ろうとも人間こんなにもやれるモンなのでしょうか。
この肉弾戦は旧日本軍のばりの’玉砕’って感じです。
日本チームもフランスワールドカップのときの「初めての切符を手にするか・・・」なんて緊迫感がないものだから、観客の雰囲気を盛り上げようと
一時、同点かなんかにしてあげる配慮もありました。
それはこの国に居住する、かの国同胞にそれとなく気を遣った所業なのでしょうか。
そしていつでも点が取れるのに、最後のロスタイムまで引っ張る周到ぶり。
みんな役者やな・・・おもわず感嘆してしまいました。
そして最後は神風が吹いて、共産主義の急先鋒をなぎ倒していく、
快哉を呼びおこす最高の演出です
まさに彼の国のお株を奪う国威発條を意図した、すばらしい筋書きでした。
それにしてもわが国。選手をはじめとして、お人よしの集まりですね。
自国民を拉致され、スパイ活動に強制的に従事させられ、
そんな人たちを助けるべく誠意を持ってのぞんでいるのに、他人の遺骨をもち帰させられ、
それに対し真実をさりげなく科学的に指摘してあげたら、何らかの陰謀、捏造だと言われる始末。
報道も大阪生野区かなんかに踏み入り彼の国の方々の様子を中継なんかして
これを機に、日朝友好だなんて語らせたりして、
いったい何が言いたいんでしょうか。
スポーツという政治を離れた平和の祭典を通じて、すべての理不尽を忘れろとでもいうのでしょうか。はっきり言ってこの国に住むかの国の人々の人間模様なんか興味ありません。
在日Jリーガーにも特別な感慨はありません。
スポーツと政治は別物だとは思います。
しかし北の奴らとはもともとスポーツに取り組む姿勢がまったく違うのです。
選手は皆軍人でもあるし一歩間違えば、戦闘護身術かなんか持ち出してきそうな風情です。
だいたい戦時体制下の思想統制にあるような国の状況を
我々と同じ次元では語れないのです。
しかしテレ朝、ここぞとばかり思いっきり引っ張ってます。
どの局も、皆横並びで同じ画面ばかり見せられる昨今。
NHKなどが声高に叫ぶ報道の義務(昨年のオリンピック中継の折、独占放映している柔道のいい場面をばっさり切って、報道の価値があるという独自の理論で、ちんけな地震報道をして、皆の罵声を浴びていました。)をあっさりと捨て、
報道ステーションを完全に「サッカー事後報道」にかえてしまう。
こういうチカラワザはむしろ心地良ささえ感じます。
賑やかしとしてスマップ蚊取りなども導入していましたが、
残念ながら出番はほとんどありませんでした。
まあドラえもんの着ぐるみが出てこないだけまだましです。
サッカーって言うのは不思議なもので、たとえ、僅差にみえようと
強いものが勝つようになっています。
次戦はイランが相手です。
今度は民族的な配慮など無しに、思う存分叩きのめすことができるでしょう。
そう願っております。
2004年12月25日
2004年一番のニュース
この時期になると今年の総括という内容の企画が、新聞やテレビ番組でよくみられます。
激動の時代を象徴するかのように、いろいろなニュースがありましたが、
イラクへの自衛隊派遣や日本人人質、台風や地震の災害、猟奇的殺人事件など、暗いニュースが大半を占めました。
そんな中明るい話題も少なからずありました。オリンピックでの同胞の活躍、曽我さんに関するものなど。しかし私の中では、イチローに関することを一番に揚げたいと思います。
9月末から10月はじめ日本中でイチローの打席を見守っていました。
以前私の記事でも披露しましたが、街角の美容室やパン屋などおよそ野球と関係ない店が、店頭の掲示板にいつも書いてあるであろう’メニュ’ーやら’おすすめ’やらを消して、イチローの一打席一打席の結果を書き出し、一喜一憂していました。
あの頃の盛り上がりは一種異様なものもありました。
何かに希望を託したいというみなの心が、ひとつになったかのようでした。
イチローは野球に関しては、天才的なところがあり、
その考えているところが、あまりに技術的に高度であるがゆえ、彼が発する言葉が文章として、うまく表現されないということがよくあり、
インタビューやコメントなどの折、聞いていて’もどかしさ’を感じていました。
しかしこの記録達成後、少し聞こし召し、会見を行った時の言葉は、
あまり飾らず、なんの衒いもなくストレートなものでした。
Q:「日本の野球少年にメッセージはありますか。」
A:「こちらに来て思ったこと・・・
体がでかいということに、それほど意味はない。
僕自身メジャーリーグの中でも一番小さいほうだが、
このような記録を残すことができた。
自分自身の可能性をつぶさないでほしい。」
これほどの偉業を達成し、イチローは
真の天才と誰もが思っているようですが、
視力のハンディキャップを抱え、それを克服した努力の人でもあるのです。
そんな人間だからこそいえる言葉でした。
ハンディキャップを持つ者はもとより、人間誰しも弱いところ、苦手なところがあります。
そこから逃げ出すなと、ゆっくりと訥々と語ったこのイチローの言葉。
単純でありながら力がこもっていました。
かれの偉業とともに、このインタビューは私にとって今年一番の感動でした。
激動の時代を象徴するかのように、いろいろなニュースがありましたが、
イラクへの自衛隊派遣や日本人人質、台風や地震の災害、猟奇的殺人事件など、暗いニュースが大半を占めました。
そんな中明るい話題も少なからずありました。オリンピックでの同胞の活躍、曽我さんに関するものなど。しかし私の中では、イチローに関することを一番に揚げたいと思います。
9月末から10月はじめ日本中でイチローの打席を見守っていました。
以前私の記事でも披露しましたが、街角の美容室やパン屋などおよそ野球と関係ない店が、店頭の掲示板にいつも書いてあるであろう’メニュ’ーやら’おすすめ’やらを消して、イチローの一打席一打席の結果を書き出し、一喜一憂していました。
あの頃の盛り上がりは一種異様なものもありました。
何かに希望を託したいというみなの心が、ひとつになったかのようでした。
イチローは野球に関しては、天才的なところがあり、
その考えているところが、あまりに技術的に高度であるがゆえ、彼が発する言葉が文章として、うまく表現されないということがよくあり、
インタビューやコメントなどの折、聞いていて’もどかしさ’を感じていました。
しかしこの記録達成後、少し聞こし召し、会見を行った時の言葉は、
あまり飾らず、なんの衒いもなくストレートなものでした。
Q:「日本の野球少年にメッセージはありますか。」
A:「こちらに来て思ったこと・・・
体がでかいということに、それほど意味はない。
僕自身メジャーリーグの中でも一番小さいほうだが、
このような記録を残すことができた。
自分自身の可能性をつぶさないでほしい。」
これほどの偉業を達成し、イチローは
真の天才と誰もが思っているようですが、
視力のハンディキャップを抱え、それを克服した努力の人でもあるのです。
そんな人間だからこそいえる言葉でした。
ハンディキャップを持つ者はもとより、人間誰しも弱いところ、苦手なところがあります。
そこから逃げ出すなと、ゆっくりと訥々と語ったこのイチローの言葉。
単純でありながら力がこもっていました。
かれの偉業とともに、このインタビューは私にとって今年一番の感動でした。
2004年11月30日
NEET
学校にも通わず、職も得ず
そんな人間たちをNeetと称するようです。
先日東京12チャンネル系列で放映されていた、
Neetに関する情報番組を見て思うところがありました。
番組では、わが国資本主義の真っ只中にあり、
労働力の根幹である、30〜50才くらいの人々に対して、
彼らNeetの姿勢についてどう思うか、インタビューがなされていました。
「もってのほか」「甘えている」
そんな論調が大部分を占めました。まあ半ば予想されたことです。
20台若者にも等しくインタビューの対象は向けられていました。
同情的な意見が多数を占める中、特異な発言もありました。
いわく、「働かない権利もある。」
またはじまった・・・
何かと権利を持ち出す輩が、ここにも生息していました。
私も長く働かないという状態を享受したことがありましたが、
職を得ない事を当然の権利として主張するほど、いまだ先進的になりきれてはいません。
私は全く別の観点で、Neet諸君には同情の目を向けています。
番組の分析によると、Neet増加の要因は、
◆新卒として採用される社員の需要が減っている。
◆それよりもパートタイムや、中途採用が増えている。
そんなことをあげていました。
別の番組では、ゆとりを重視した現代の教育制度や、
友達のように接する親のしつけ方などが、
子供の独立の機会を奪っているという風に解説しているものもありました。
Neet本人に直接「就職しない理由は」と問いただすと、
やりたい職が見つからない、自分のやりたいことが定まらない、
どの職業にたいしても、一生続けていけるかと自問するとそう思えない。
などの回答が帰ってきました。
古くは、洋の東西を問わず、職はやってくるものでした。
食うための必然としてする活動のひとつです。
逆に言えば、食えれば額に汗する必要もなかったのです。
そんなに複雑ではない社会においては、人間の携わる活動の種類もそれほど多いものではなく、
年齢を重ねるにしたがって、社会に組み込まれるうちにおのずと各人の役割は決まり、
それが生業になっていったもののようです。
現実にたち返り、高度に進み逼塞しているこの国の資本主義社会を思います。
職業選択の自由は広がったとは言うけれど、
さてその仕事自体にどれほどの個人裁量権や、創造性があるのか。、
機械の一部品のごとく細分化された多くの仕事に
魅力を感じることができない。これは仕方のないことかもしれません。
また、今の日本企業の経済活動を見廻すとどうでしょうか。
資本主義構造の金庫番たるべく銀行そのもが経営破たんを起こし・・・
財閥系の名門M自動車は、欠陥車を量産し、それを無理やり隠し・・・
2大化粧品メーカーの片割れ、Kは粉飾決済をし、経済再建機構の厄介になり・・・
大規模土地活用のSグループのインサイダー取引まがいの所業や、
その野球でのライバルである流通業界の雄、Dの無様な凋落・・・
そんな中IT勝ち組?であるR天は臆面もなく利ざやを稼いでいます。
新卒者に希望を持って、会社勤めをせよというのも無理があります。
もう右を向いても左を見ても企業に道徳や、倫理などを求めるのは、叶わなくなっているようです。
そういった鬱屈とした流れが、今後社会を背負っていく若年層の就労意思に、ボディーブローのように、少しずつではあるが確実にダメージを与え続けてきたのです。
資本主義発展の幻想。そんなもののうそ臭さを、若年層はとうの昔に感じ取り、企業を見限ってきたのだといえましょう。
しかしどこかの企業に身をおかなければ、現代では職を得ることもままなりません。
こんな大きな矛盾が存在するところに、Neetが発生し、増加する要因があったのではないでしょうか。
そんな人間たちをNeetと称するようです。
先日東京12チャンネル系列で放映されていた、
Neetに関する情報番組を見て思うところがありました。
番組では、わが国資本主義の真っ只中にあり、
労働力の根幹である、30〜50才くらいの人々に対して、
彼らNeetの姿勢についてどう思うか、インタビューがなされていました。
「もってのほか」「甘えている」
そんな論調が大部分を占めました。まあ半ば予想されたことです。
20台若者にも等しくインタビューの対象は向けられていました。
同情的な意見が多数を占める中、特異な発言もありました。
いわく、「働かない権利もある。」
またはじまった・・・
何かと権利を持ち出す輩が、ここにも生息していました。
私も長く働かないという状態を享受したことがありましたが、
職を得ない事を当然の権利として主張するほど、いまだ先進的になりきれてはいません。
私は全く別の観点で、Neet諸君には同情の目を向けています。
番組の分析によると、Neet増加の要因は、
◆新卒として採用される社員の需要が減っている。
◆それよりもパートタイムや、中途採用が増えている。
そんなことをあげていました。
別の番組では、ゆとりを重視した現代の教育制度や、
友達のように接する親のしつけ方などが、
子供の独立の機会を奪っているという風に解説しているものもありました。
Neet本人に直接「就職しない理由は」と問いただすと、
やりたい職が見つからない、自分のやりたいことが定まらない、
どの職業にたいしても、一生続けていけるかと自問するとそう思えない。
などの回答が帰ってきました。
古くは、洋の東西を問わず、職はやってくるものでした。
食うための必然としてする活動のひとつです。
逆に言えば、食えれば額に汗する必要もなかったのです。
そんなに複雑ではない社会においては、人間の携わる活動の種類もそれほど多いものではなく、
年齢を重ねるにしたがって、社会に組み込まれるうちにおのずと各人の役割は決まり、
それが生業になっていったもののようです。
現実にたち返り、高度に進み逼塞しているこの国の資本主義社会を思います。
職業選択の自由は広がったとは言うけれど、
さてその仕事自体にどれほどの個人裁量権や、創造性があるのか。、
機械の一部品のごとく細分化された多くの仕事に
魅力を感じることができない。これは仕方のないことかもしれません。
また、今の日本企業の経済活動を見廻すとどうでしょうか。
資本主義構造の金庫番たるべく銀行そのもが経営破たんを起こし・・・
財閥系の名門M自動車は、欠陥車を量産し、それを無理やり隠し・・・
2大化粧品メーカーの片割れ、Kは粉飾決済をし、経済再建機構の厄介になり・・・
大規模土地活用のSグループのインサイダー取引まがいの所業や、
その野球でのライバルである流通業界の雄、Dの無様な凋落・・・
そんな中IT勝ち組?であるR天は臆面もなく利ざやを稼いでいます。
新卒者に希望を持って、会社勤めをせよというのも無理があります。
もう右を向いても左を見ても企業に道徳や、倫理などを求めるのは、叶わなくなっているようです。
そういった鬱屈とした流れが、今後社会を背負っていく若年層の就労意思に、ボディーブローのように、少しずつではあるが確実にダメージを与え続けてきたのです。
資本主義発展の幻想。そんなもののうそ臭さを、若年層はとうの昔に感じ取り、企業を見限ってきたのだといえましょう。
しかしどこかの企業に身をおかなければ、現代では職を得ることもままなりません。
こんな大きな矛盾が存在するところに、Neetが発生し、増加する要因があったのではないでしょうか。
2004年11月25日
日銀前橋支店
昨日発覚した日銀職員による、
ゾロ目などの希少価値のある新紙幣のすり替え事件。
明らかに高値で売れることがわかっていて、
価値のない手持ちの紙幣と交換することは罪に問われないのでしょうか。
たとえばコインショップにある、
希少価値のある紙幣と自分の持っているなんでもない紙幣を
店主の目を盗んで交換したなら、それは明らかに犯罪になるでしょう。
日銀の場合は、紙幣が世に出る前で、誰の所有にもなっていないという理由で、
すり替えることは、犯罪には当たらないとしていますが、
それは日銀に公の観念がなく、紙幣を私物化していることのように思われます。
紙幣は流布する前であっても、日銀職員の所有物ではなく、
大げさに言えば「公」のものなのです。
社員連中は軽い気持ちでやったのかもしれませんが、
金を扱っていて、金に目がくらみ、
自身の仕事の社会的責任を完全に無視ししてかかりました。
こやつらの所業は、経済の根幹にかかわる大原則を著しく侮蔑した行為であり、厳罰に処してほしいと思います。
休職などの軽い制裁で、あけてからへらへらと笑いながら出社し、
しばらくすればほとぼりも冷めるのでしょうが、
こういうやつらには刑事罰などよりも、資本主義社会に復帰できないほどの痛手を負わせるか、あるいは、見せしめで、市中引き回しなんていうのもいいかもしれません。
釈明会見では、日銀スポークスマン以下おやじ4人ほどが、
薄い頭頂部を前方に向け、無様に腰を折っていましたが、
そんなお決まりのパフォーマンスは、嘲笑の対象であり、
こちらは、謝意を少しも感じることもできず、
またやってるよとばかり、ほんの少しのおかしみを覚えるくらいのものです。
どうして実際犯行に及んだ男1名、女4名がその厚顔を公にさらして
すみませんでした、私たちが間違っていましたとあたまを下げないんだ・・・?
そうすれば国民の大多数は、その謝を受け入れ納得することもできるでしょう。
何より、ちゃちな芸能人の離婚会見などをはるかに超える、
かなりのエンターテイメントなりうると思いますが。
ゾロ目などの希少価値のある新紙幣のすり替え事件。
明らかに高値で売れることがわかっていて、
価値のない手持ちの紙幣と交換することは罪に問われないのでしょうか。
たとえばコインショップにある、
希少価値のある紙幣と自分の持っているなんでもない紙幣を
店主の目を盗んで交換したなら、それは明らかに犯罪になるでしょう。
日銀の場合は、紙幣が世に出る前で、誰の所有にもなっていないという理由で、
すり替えることは、犯罪には当たらないとしていますが、
それは日銀に公の観念がなく、紙幣を私物化していることのように思われます。
紙幣は流布する前であっても、日銀職員の所有物ではなく、
大げさに言えば「公」のものなのです。
社員連中は軽い気持ちでやったのかもしれませんが、
金を扱っていて、金に目がくらみ、
自身の仕事の社会的責任を完全に無視ししてかかりました。
こやつらの所業は、経済の根幹にかかわる大原則を著しく侮蔑した行為であり、厳罰に処してほしいと思います。
休職などの軽い制裁で、あけてからへらへらと笑いながら出社し、
しばらくすればほとぼりも冷めるのでしょうが、
こういうやつらには刑事罰などよりも、資本主義社会に復帰できないほどの痛手を負わせるか、あるいは、見せしめで、市中引き回しなんていうのもいいかもしれません。
釈明会見では、日銀スポークスマン以下おやじ4人ほどが、
薄い頭頂部を前方に向け、無様に腰を折っていましたが、
そんなお決まりのパフォーマンスは、嘲笑の対象であり、
こちらは、謝意を少しも感じることもできず、
またやってるよとばかり、ほんの少しのおかしみを覚えるくらいのものです。
どうして実際犯行に及んだ男1名、女4名がその厚顔を公にさらして
すみませんでした、私たちが間違っていましたとあたまを下げないんだ・・・?
そうすれば国民の大多数は、その謝を受け入れ納得することもできるでしょう。
何より、ちゃちな芸能人の離婚会見などをはるかに超える、
かなりのエンターテイメントなりうると思いますが。
2004年11月09日
コラムというもの
朝日新聞「天声人語」読売寸評。
新聞のコラムには、独特の文体があります。
紙面の中のとりわけ狭いスペースを活用し、
何とか示唆に富む、社説にも匹敵する一言二言を言わなければならない場所です。
起承転結も考慮し、言葉を削る必要も出てくるのでしょう。
そこでは、文の流麗さやイメージを喚起する表現などは考慮されず、寸足らずの言い回しの代表である体言止がまかり通っています。
何らかの意見を述べる場合には、このような表現は有効であるのかもしれません。
(例示するならば、私のブログに気まぐれのようにトラックバックしていただいた。
http://blog.goo.ne.jp/deputyministerさんなどがそのいい例でしょう。)
この硬直した文章に対して、「歯切れのいい文体」などと評している人がいるのも驚きです。
日本語の表現もここまでの宇宙人的進化を遂げたか・・・?という率直な感想をもちました。
歌の詞に情景がなくなった。といわれて久しいです。
昨今の日本の歌には、場面を想起させるような言葉がほとんどなくなり、
感覚で語られた言葉が大半を占めています。
これは、生理学的にも証明されていることのようで、
現代の若者(この言葉の線引きはあいまいなのですが)は音と同じ様に、歌の言葉を右脳で捉えているとのことです。
一方旧世代は歌の歌詞を左脳でとらえるようです。
そこには言語中枢を優先させるものがまだ残っているようなのです。
言葉を言葉として捉え、そこからイメージを想起していくというしくみが
まだ残っているようです。
はじめに言葉ありき。
これはキリスト教世界で教え諭されているばかりでなく、人類誕生原初からの究極命題であり、それにより存在さえも認められるか否かといった問題にかかわってくるほどの重要な事柄なのです。
発した言葉に魂が宿る「言霊信仰」とまでは言いませんが、
言葉をおざなりにしてはいけないということです。
駄文を並べて、世間知らずの若者をだまし、
強引な論理の誘導により、私見と、偏見を述べ、
それをもって自分の頭が「スッキリとした」などというのは、
これほどの傲慢もないのではないのかと思います。
わたしは個人的に彼のそれぞれの事物に対する
考えを非難するものではありません。
紳助に対してどう思おうと、野球の球団に特別の思い入れがあろうとも、
そんなことは私の関知するところではありません。
ただ、無意識にあるいは意図的に情報を操作し、自分の私見を述べ、それをもって、
「頭がスッキリする」などど命名していることの裏に見え隠れする傲慢さと
何よりも稚拙な文体にはなはだしい、嫌悪感を覚えるのです。
新聞のコラムには、独特の文体があります。
紙面の中のとりわけ狭いスペースを活用し、
何とか示唆に富む、社説にも匹敵する一言二言を言わなければならない場所です。
起承転結も考慮し、言葉を削る必要も出てくるのでしょう。
そこでは、文の流麗さやイメージを喚起する表現などは考慮されず、寸足らずの言い回しの代表である体言止がまかり通っています。
何らかの意見を述べる場合には、このような表現は有効であるのかもしれません。
(例示するならば、私のブログに気まぐれのようにトラックバックしていただいた。
http://blog.goo.ne.jp/deputyministerさんなどがそのいい例でしょう。)
この硬直した文章に対して、「歯切れのいい文体」などと評している人がいるのも驚きです。
日本語の表現もここまでの宇宙人的進化を遂げたか・・・?という率直な感想をもちました。
歌の詞に情景がなくなった。といわれて久しいです。
昨今の日本の歌には、場面を想起させるような言葉がほとんどなくなり、
感覚で語られた言葉が大半を占めています。
これは、生理学的にも証明されていることのようで、
現代の若者(この言葉の線引きはあいまいなのですが)は音と同じ様に、歌の言葉を右脳で捉えているとのことです。
一方旧世代は歌の歌詞を左脳でとらえるようです。
そこには言語中枢を優先させるものがまだ残っているようなのです。
言葉を言葉として捉え、そこからイメージを想起していくというしくみが
まだ残っているようです。
はじめに言葉ありき。
これはキリスト教世界で教え諭されているばかりでなく、人類誕生原初からの究極命題であり、それにより存在さえも認められるか否かといった問題にかかわってくるほどの重要な事柄なのです。
発した言葉に魂が宿る「言霊信仰」とまでは言いませんが、
言葉をおざなりにしてはいけないということです。
駄文を並べて、世間知らずの若者をだまし、
強引な論理の誘導により、私見と、偏見を述べ、
それをもって自分の頭が「スッキリとした」などというのは、
これほどの傲慢もないのではないのかと思います。
わたしは個人的に彼のそれぞれの事物に対する
考えを非難するものではありません。
紳助に対してどう思おうと、野球の球団に特別の思い入れがあろうとも、
そんなことは私の関知するところではありません。
ただ、無意識にあるいは意図的に情報を操作し、自分の私見を述べ、それをもって、
「頭がスッキリする」などど命名していることの裏に見え隠れする傲慢さと
何よりも稚拙な文体にはなはだしい、嫌悪感を覚えるのです。
2004年10月31日
人の命は地球より重いか
「人の命は地球より重い」
ひとりの命は、全世界、
全地球のすべての生命と等しく、
重要である。
反戦を訴える運動の中で絶えず語られたこの思想は、
いまでも生きているのでしょうか。
核や、最新鋭兵器による大量殺戮。
人間一人ひとりの重みがだんだん軽くなる
そんな中、平和を訴えるひとつの方策として、
この表現が生まれてきたように思います。
時として、自己中心的に聞こえるかもしれませんが、
自分の命、これは突き詰めて考えれば、自分だけのものなのです。
その大切を実感し、かけがえのないものだと思い、
育み、万難を排して守っていく。
それこそ自然の状態で、人類が固有に持っている、
「平和」の根本概念です。
そんな大切な命を、ほかのものに比べること、
人がその重みを量計すること。
これは多分に不遜なことだと思いますが。
自分の命を大切に思わないものに
他人の命を、世界中の人の命を語る資格はないと思います。
「自己を犠牲にして」、「身を挺して」
肉親や家族、友人への思いを離れて語られる場合、
そこに多少とも「ナルシシズム」が入ってはいないと
言い切ることができるでしょうか。
再び起こった日本人人質事件。
人の命と引き換えに、自衛隊の撤退を要求する
アラブ武装組織の行為には、非常な怒りを感じます。
このような姿勢から生まれてくる平和は、一方で憎しみを生み出します。
その点彼らが忌み嫌うアメリカ合衆国のやっていることと代わりはないのです。
自衛隊の駐留にも無理があり、私自身撤退してほしいと望んでいます。
香田さんは遺体で発見されました。
バクダットへ向かう際の所持金は100ドル。
「バス停で出会った人のところに泊めてもらえばいい」
そんなことを言っていたそうです。
多くの人の気使いと忠言を無視してかれはバクダットへ向かいました。
真実、それは時として、危険と紙一重のところに存在する場合があります。
踏み込まなければ、本当のところにたどり着けない。
しかし、踏み越えてしまうと、命を落とすことになる。
そのぎりぎりのところを知覚するのは、
自身の天分もありますが、相当の経験を必要とするものです。
http://www9.plala.or.jp/style_council/tabi/mokuteki.html
自分探しの放浪者は、自分を見つけることができたのでしょうか。
世情を学ぶことも重要ですが、
自分を大切に思う気持ち。
何よりも彼はそれを一番先に学ぶべきでした。
ひとりの命は、全世界、
全地球のすべての生命と等しく、
重要である。
反戦を訴える運動の中で絶えず語られたこの思想は、
いまでも生きているのでしょうか。
核や、最新鋭兵器による大量殺戮。
人間一人ひとりの重みがだんだん軽くなる
そんな中、平和を訴えるひとつの方策として、
この表現が生まれてきたように思います。
時として、自己中心的に聞こえるかもしれませんが、
自分の命、これは突き詰めて考えれば、自分だけのものなのです。
その大切を実感し、かけがえのないものだと思い、
育み、万難を排して守っていく。
それこそ自然の状態で、人類が固有に持っている、
「平和」の根本概念です。
そんな大切な命を、ほかのものに比べること、
人がその重みを量計すること。
これは多分に不遜なことだと思いますが。
自分の命を大切に思わないものに
他人の命を、世界中の人の命を語る資格はないと思います。
「自己を犠牲にして」、「身を挺して」
肉親や家族、友人への思いを離れて語られる場合、
そこに多少とも「ナルシシズム」が入ってはいないと
言い切ることができるでしょうか。
再び起こった日本人人質事件。
人の命と引き換えに、自衛隊の撤退を要求する
アラブ武装組織の行為には、非常な怒りを感じます。
このような姿勢から生まれてくる平和は、一方で憎しみを生み出します。
その点彼らが忌み嫌うアメリカ合衆国のやっていることと代わりはないのです。
自衛隊の駐留にも無理があり、私自身撤退してほしいと望んでいます。
香田さんは遺体で発見されました。
バクダットへ向かう際の所持金は100ドル。
「バス停で出会った人のところに泊めてもらえばいい」
そんなことを言っていたそうです。
多くの人の気使いと忠言を無視してかれはバクダットへ向かいました。
真実、それは時として、危険と紙一重のところに存在する場合があります。
踏み込まなければ、本当のところにたどり着けない。
しかし、踏み越えてしまうと、命を落とすことになる。
そのぎりぎりのところを知覚するのは、
自身の天分もありますが、相当の経験を必要とするものです。
http://www9.plala.or.jp/style_council/tabi/mokuteki.html
自分探しの放浪者は、自分を見つけることができたのでしょうか。
世情を学ぶことも重要ですが、
自分を大切に思う気持ち。
何よりも彼はそれを一番先に学ぶべきでした。
2004年10月29日
事件の加害者の立場から考える。〜紳助氏の場合
”島田紳助氏が吉本社員に暴行。傷害の罪で訴えられる。”
今日、会見の模様をテレビで見ましたが、
100%自分が悪かったと言っているものの、
女性社員の非をとがめる口調が見え隠れしていました。
氏は、語るうちに感情が激こうしてきて、最後には涙まで見せていましたが、
ちょっとみっともない印象を受けました。
会見で、芝居がかった様子で釈明し、10日間の謹慎。
これで事件は終わるでしょう。
しかしそれだけで終わらすことのできない、
多くの問題があるように思います。
伸助氏を暴力に駆り立てたものは、氏の言葉によると、
女性社員の無礼な態度(先輩芸能人を呼び捨てにするなど・・)だったようです。
吉本興業も、今では多方面に手を広げ、単なるお笑い興行機関ではなくなっています。
紳助氏が育ってきた徒弟制度も今では、一部でしか通用しないものになっています。
昔は許されたであろう、無礼者に対する制裁行為により、
逆に訴えられ、氏のサイドではあわててしまったのでしょう。
今は、先輩が後輩を教育するのに、力を行使するのが許されるほど、
牧歌的な時代ではないのです。
暴力に走った紳助氏は法律的に裁かれるものです。
しかし女性社員は道徳的に問題があります。
人を訴えて、かたくなに意見の表明を拒んでいるようですが、
これほど氏を激昂させるのは、よほどの無礼があったと想像できます。
事件を引き起こした根本原因は、彼女の「無礼さ」にこそあるのです。
<彼女が存在しなければ、この事件もなかったのです。>
このケースだけでなく、過去の事例も含め、
人々が忘れてしまった謙虚さや、他人を思いやる気持ち。
大事なものだと思います。
今日、会見の模様をテレビで見ましたが、
100%自分が悪かったと言っているものの、
女性社員の非をとがめる口調が見え隠れしていました。
氏は、語るうちに感情が激こうしてきて、最後には涙まで見せていましたが、
ちょっとみっともない印象を受けました。
会見で、芝居がかった様子で釈明し、10日間の謹慎。
これで事件は終わるでしょう。
しかしそれだけで終わらすことのできない、
多くの問題があるように思います。
伸助氏を暴力に駆り立てたものは、氏の言葉によると、
女性社員の無礼な態度(先輩芸能人を呼び捨てにするなど・・)だったようです。
吉本興業も、今では多方面に手を広げ、単なるお笑い興行機関ではなくなっています。
紳助氏が育ってきた徒弟制度も今では、一部でしか通用しないものになっています。
昔は許されたであろう、無礼者に対する制裁行為により、
逆に訴えられ、氏のサイドではあわててしまったのでしょう。
今は、先輩が後輩を教育するのに、力を行使するのが許されるほど、
牧歌的な時代ではないのです。
暴力に走った紳助氏は法律的に裁かれるものです。
しかし女性社員は道徳的に問題があります。
人を訴えて、かたくなに意見の表明を拒んでいるようですが、
これほど氏を激昂させるのは、よほどの無礼があったと想像できます。
事件を引き起こした根本原因は、彼女の「無礼さ」にこそあるのです。
<彼女が存在しなければ、この事件もなかったのです。>
このケースだけでなく、過去の事例も含め、
人々が忘れてしまった謙虚さや、他人を思いやる気持ち。
大事なものだと思います。

