昨年は空梅雨で
ジョットリと湿り気を含んだ空気を、強い日差しがいたずらに焦がし
引き続き訪れた狂乱ともいえる夏の灼熱には、ほとほとまいったものです。
しかし今年は適度に湿りもあり、中休みもあり、
異常な台風の連続上陸もなく、
久しぶりに(ほぼ)健全な日本の梅雨の気候となっているようです。
遭遇するいろいろなブログの文字に目を走らせていると
「梅雨ってジメジメして一番イヤ!!!」なんて書き込みが多数を占めるようですが、
私・・・結構この時期はスキです。
晴耕雨読
本当にそういう生活ができれば理想なのですが、
雨の休日は「雨読」の姿勢を貫くことができ、むしろ心地よさも覚えます。
(晴れるとどうも、あちこちフラフラ出かけたくなっちまいますので・・・)
某日、朝から降り続いた雨が上がり、
曇天に支配された日中よりも、夕刻に到って空は明るくなってきました。
仄かに心浮き立つものがあり、
食材の買出しもかねて、ふらりと出かけました。
住宅街を縫うように進んで行くも、すれ違う人もおらず、
界隈はちょっとしたゴーストタウンのようです。
夕餉の匂いが窓から洩れ、漂い、生活の確かな兆しは感じられます。
しかし不思議な静謐がありました。
散策していると、いろいろ想起させられるものがあり、
思いがいろいろなところに飛翔して行きます。
その情景がニースの港であったり、バルセロナの裏道であったり
それは日常の生活では決して表われてこない、心の奥底に潜んでいた記憶なのですが、
それがどういう発火作用によりこうして蘇ってくるのかという
ある種の驚きも含んでいます。
国道一号線沿い、二ツ家(地名は二ツ谷)−大山へ到る街道筋に、宿が二軒あったことから名づけられたとのこと−
のあたりは旧街道の面影を残すようなケヤキの大木、豪農の屋敷などが残っています。
その細い道を縫うように進んでゆきます。。
周りの木々を見ながらふとおもいました。
「梅雨・・・人にとっては決して快適ではない気候でも植物にとっては恵みの時節なのだ。」

庭のゆずの木が実を付けていました。

その近くには梅園がありこちらも、実が鈴なりでした。
そして豊穣の極みは、紫陽花です。
いつもはなんとも貧相な葉と茎をさらし、
生きているんだか死んでいるんだかわからないような様相を呈していますが、
今の盛り、こんもりと広がるその花は菊の大輪にも匹敵するかのようです。
雨滴を受け、しっとりと染み入るような美しさを誇っています。
今日も雨は地表を濡らし、植物に滋養をもたらしています。
暗い空にもかかわらず、どの植物もしっとりとしたつややかな緑の葉を誇っています。
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植え込みにあったガクアジサイが可憐に見えたので、
接写で記録しました。
そのとき私のすぐ足元を小さなカタツムリが這っていました。
今、ホンの数ミリ、私の靴を逃れ彼は生きながらえました。
しかし彼は先の繁華な道を横断し、別のアジサイの群生に到ろうと目論んでいるようです。
生活環境改善のためか、あるいはカタツムリという種の発展をもくろむ崇高な欠くべからざる行為からか、
しかしその先には通りを爆走する、幾重もの車の輪が待っています。
アスファルトから引き剥がし、植え込み後方の森に投げ込んでやりました。