2006年04月15日

失われつつある風景

私的に、ささやかではありますが、
失われつつある、”日本的情緒を醸しだす風景”を求めて行きたいと思っています。

「おぼろ月夜」
菜の花畑に入日薄れ
見渡す山の端、霞み深し
春風そよ吹く空を見れば
夕日懸かりて匂い淡し


「春の小川」
春の小川はさらさら行くよ
岸の菫や蓮華の花も
姿優しく、色美しく
咲けよ咲けよとささやきながら


上記のうたは郷愁を誘うものですが、
奇しくも同じ作者のものだということに気づきました。

高野辰之(たかのたつゆき)(M9/1876〜S22/1947)
長野県豊田村出身の国文学者。
1910年東京音楽学校(現,東京芸術大学音楽学部)教授となる。
広く文献資料を収集・考証し,邦楽,歌謡,演劇の芸態とその史的研究の先駆者として未踏の分野を開拓した。
1925年論文「日本歌謡史」により文学博士の学位を受け(翌年刊行)、
1926年から東京大学で日本演劇史を講じた。
のち大正大学教授に就任。
晩年は、野沢温泉村の別荘で過ごした。
小学唱歌の作詞者として著名。
その代表作として、彼の幼少を過ごした信州の自然を織り込んで作詩した
「故郷」
「おぼろ月夜」
「紅葉」
「春がきた」
「春の小川」 などがある。
いずれも皆に親しまれている、郷愁を誘う歌である。
先に挙げた曲は、平成元年NHKがおこなった
「日本のうた ふるさとのうた」100選に選ばれた曲である。
また、郷里の豊田村には、「故郷」の記念碑・高野辰之記念館が、
野沢温泉村には、「朧月夜」歌碑が建てられていて「おぼろ月夜の館」という名前の記念館がある。


唱歌・童謡の歌詞は、情景の描写に尽きるものが多いようです。
私の記事の中で何度も触れていることなのですが、
昨今の歌の詞(ことば)はなんとも直情的であり
・・・(キミ、ボク、ガンバル、自分らしく、君が笑えば世界中がHappyなんだ・・・?等)・・・
歌詞(言語)がイメージ(映像)を喚起するものは
ほとんどなくなってしまいました。
この現象を生物学的観点(?)から説明すると、
現代人(過去人とを分かつその仕切りはビミョウですが)は歌の言葉を
感覚・リズムなどを司る右脳で捉えているからだ、ということだそうです。
虫の音を、欧米人が単なる音として右脳で捉えるのに対し、
旧来日本人は、それを“風情”と感じ、左脳を使っているのだという説もあります。
日ごろからそこかしこで散見できる”侘びさび”のかけらもない人々の言動は、こんなところにも原因があるのかもしれません。
ある種これは日本伝統文化の最大の危機なのだ、という思いもあります。

本日、高野氏作唱歌「春の小川」のあらわす風景を求め、県央地区を流しました。
訪れたのは流域に、寒川、海老名、綾瀬、など田舎・田園といわれる場所を持つ目久尻川側道でした。
田畑(でんぱた)、田舎(いなか)それは自然という語句と素直に結びつくものとは限りません。
首都圏近郊地帯では田舎であるほど不毛だというのが実情です。
この川の下流域の情緒の欠落には打ちのめされました。

mekujiri 008.JPG mekujiri 011.JPG mekujiri 018.JPG

鰡(ボラ)の子の群れ、それに養われる鵜や小鷺の異常なまでの増大。
川の様相はなんとも味気ないもので、強制的にまっすぐに直され、コンクリートで護岸され、さらに川辺には石塁を築き、それを金網で覆うという徹底な仕事です。
それは工業至上主義を具現するかのようななんとも無粋な行為です。
浅く速く、淀みもない水の中では、鯉も住み心地が悪いようです。
あらゆる有機物に加え、時に毒までも吸収し成長を続ける川辺の巨大な葦状植物。
そこに文明がはき捨てる排泄物が絡まり、目を覆いたくなるほどの氾濫を生み出しています。
川辺を歩みつつ大きく呼吸をすれば、近隣で囲われる家畜が生み出すねっとりとした、しつこいほどの悪臭が鼻腔に迫り、それは行程のうち、終始付きまとうものです。
今ここにレイチェル・カーソン女史がいたなら、
その嘆きはどれほどのものでしょうか。

現実がうた世界とは遠くかけ離れたものになってしまい、
イメージしようにもかなわないものになっています。
実際「春の小川」の”小川”とは
代々木にかつてあった河骨川(こうぼねがわ)のことであるとされています。
今では暗渠となっています。
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2006年04月10日

木蓮の涙

暖かくなっては、急に寒くなる日が続きます。
春先のこの気候は「三寒四温」という言葉でもあらわされます。
もとよりこういう不安定さが、来たるべく本当の春への序曲なのでしょう。
しかしこのところ、晴れた日には等しく春一番のような強風が吹き荒れるのが習いになっています。
日本の春ってこんなに荒れるものだったのでしょうか。

海岸のサイクリング道路へ散策に出ました。
陽光がアスファルトに照り、少しばかりの暑さも感じていました。
その蒸した感じを断ち切ろうと海に一歩近寄り、今年初めて砂浜を歩きました。
砂上を歩いていると、南から吹き付ける風は肌を撫で、少しばかりひんやりとした心地よさをもたらしてくれます。
いつも見下ろしている海面、そこに浮かぶ多くのサーファーと同じ目線で海を眺め、久しぶりに覚えた躍動感がありました。

”浜須賀”からまっすぐ斜めに行程をとり、
自宅へとってかえす途上にその家がありました。
一年ほど前、大規模な改築工事を行い、
平屋・庭付きから、二階建て・周囲コンクリート固め・駐車場付へと
華麗な転身を遂げた家屋です。
かつて繁茂する植え込みの木を縫うように縦横無尽に駆け回り、
私が近づくたび吠えかかってきた”馬鹿犬”がいたのですが、
家屋の改修と時を同じくして、病でも蒙ったのか、
急激な体力的な衰えとともに、気弱になり
私の挑発にものってこず、さびしく尻尾を振って歩み寄ってくるようになっていました。

今日、久しぶりにこの道に踏み込み、頭のひとつでもなでてやろうと件の家に近寄ると、
いつものように駐車場の前面で寝転び、日を浴びている奴の姿はありませんでした。

玄関脇の犬小屋の前面に木蓮の一輪挿しが置かれていました。
(この家の庭に咲いている白木蓮からとったものでしょうか)
えさ箱・水桶は、奴が包まっていた毛布とともに、犬小屋の中にきちんとしまわれ、そして小屋の屋根には模造紙の貼り紙がありました。

「4月3日(月)・・・は天国へ旅立ちました。
いつも吠えたてた郵便局の人、宅配便の人すみませんでした。
遊ぶだけ遊んで、吠えるだけ吠え、
そして食べるだけ食べて逝った・・・は幸せでした。
もしよければ皆さんも・・・の冥福を祈ってください。」

「木蓮の涙」という歌が自身のうちに流れ出すのをとどめることができなくなりました。
posted by renn at 21:54| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月02日

4月のウマシカ

昨日は「エイプリル・フール」だったのですね。
その事実をまったく失念していました。
どうも最近、日々の生活に追い詰められており、
ウィットや冗談というところから隔たっていたようで、
反省させられます。

昨晩はG軍が惨敗してしまうと、TV番組で見るに足るものはもう何もなく、
早々DVD鑑賞に移りました。
選んだのが、ビッグフィッシュでした。
しかしなんという符合でしょうか。
よりによって嘘をついてもいい日に、嘘をテーマにした名作を鑑賞するなんて・・・

ところでネット上では、
「エイプリルフールに偽記事を書く」
ということがひとつの流行になっているようです。
私自身普段から
”Webというものはある種の虚構が含まれる”という観念があるもので、
4月1日に特に気張って「面白い偽記事」を書こうという意欲はありません。
それに世の中、これほど嘘があふれていて、それが日常であれば、
嘘の”ありがたみ””特異性”もほとんどないように思われます。

本日、関東地方を「春の嵐」が襲来したため、
久しぶりに家に篭っていました。
何点か記事を書きつつ、
面白いサイトはないかと探していました。
その過程で知った「エイプリルフール偽記事の狂乱」という事実でしたが、
あるサイトの記事では、
「皆さんにお知らせがあります・・・(10行ほどのスペース)・・・なんと・・・(10行ほどのスペース)・・・私、結婚します。」
エイプリルフール企画の記事であることを後に明かしていますが
???モウワケワカラン。
ほとんど自己満足・自身完結型の「お祭り」ですね。

たとえば「タイムズ」誌や「ディスカバリー」誌などが嘘を書くから、そのギャップにウィットが感じられるんであって、
「サン」や「東スポ」や、幾多のポータルサイト、加えて権威も、名もない一個人が、捏造記事を書いたりしたって、それはユーモアでも何でもありません。
皆が競い合って浮かれ騒いでいるその様は、軽佻浮薄を際立たせるだけで、
傍から見れば花見の席で、酩酊し、騒いでいる集団の醜さとかわらないものです。
posted by renn at 20:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サンロード@菊名

ある日の自転車行。
大船⇒イタチ川⇒鎌倉街道⇒大岡川⇒みなとみらい⇒菊名
とやってきて、昼食の頃合となりました。
「サンロード」で食う。
これが今日のコース設定の一番の目的でした。
しかし11:30の開店より早く着いてしまい、
しばし彷徨うことを余儀なくされました。
しかしこの一帯、なんとも雑然としたところです。
昔の「大和」のように、線路により道路により、街は分断され、伸びてゆく先行きもないようです。
歩道は人一人がやっと通行できる広さ、
道路も狭いのでこれも拡張のあてはないでしょう。
そんな駅東口のたたずまいの中にあって、
「サンロード」は埋没するかのようにひっそりと看板を掲げています。

内部はテーブル席のみ。(6人×3、4人×3、上面リノリウム敷き)
読み物も豊富です。ラックにきちんと差し込まれていました。
客層は多彩です。
近隣の勤め人が多いようですが、
女性ひとりが買い物の折に立ち寄ったという風情も散見できます。

この日のランチメニューは
ハンバーグと白身魚のフライ500円。
網焼きステーキ750円でした。
前者を選びます。
回転が早く、料理のサーブも早いです。
5分もかからず出てきました。

sunroad.jpgハンバーグの食感は柔らいもの、表面にあぶり跡がありますが、蒸されたような感じです。
そこに味濃いデミグラスソースがかかります。(このソースはおいしいです。)
白身魚に少し臭みを感じました。しかし輸入ハリバットのようなパサついた感じはありません。
2品とも小さめのもので上品に盛り付けされています。
付け合せのキャベツの細切り、そしてかけられたドレッシングに「イタリーノ」←(自サイトへのリンクです)を感じました。
パスタは細め、固めのもの。
洋食のグリルに付けあわせで出される典型的のようなものです。

そしてごはん・・・
最初普通盛で頼みましたが、女性客も多いせいか、直径20センチほどの白く薄いお皿に、これまた薄く盛られているだけだったので、かなり少なく感じられ、大盛りに変更してもらいました。
すると皿自体が大きなピザを載せるようなものに替わり、飯は標高も高く厚く盛られ、なんとも迫力のあるものになりました。
量はおよそ3倍くらいあるのではないでしょうか。
この豹変具合に衝撃を覚えました。

しかし、すんなりと完食いたしました。
この米、硬めに炊かれていて私の好みに合います。
おかずは少ないのですが、ごはんのみでもいただけます。
この大盛りが100円増しです
(この大盛り飯も撮影したのですが、写真上ではどうもうまくその感じがあらわれないので、敢えて割愛させていただきました。
是非とも実物を拝んでみることをお勧めいたします。)

調理も丁寧で、落ち着いた店内で快適に食すことができます。
500円という値段を考えれば他店をはるかに引き離す満足度でしょう。
ただ私の知っている一軒をのぞいては・・・。
(それは前述・・・。)

sunroad_soto.jpgサンロード
Sun Road
◇住所:横浜市港北区菊名6−1−11       
◇営業時間:午前11時30分〜午後3時、午後5時〜午後9時30分 
◇定休:火曜日

裏道をゆく〜江ノ島道

東海道・藤沢宿跡から約1里を隔て江ノ島があります。
江戸時代には江ノ島弁財天信仰が各地に広まり、多くの庶民がお参りに訪れたそうです。
現在「江ノ島道」があった辺りを通る県道304号線は
狭く、路面が悪く、なおかつ車の走行量は多いという、
例によって自転車走行に適さない、かなりストレスを感じる道になっています。
いつも藤沢→江ノ島を目指す際、手広交差点から、腰越駅まで裏道を通ってゆきます。

uramiti_kosigoe.jpg uramiti_kosigoe (1).JPG uramiti_kosigoe (8).JPG
(古民家「なるせ」(割烹料理) :付近の長屋門 :腰越・津近辺)

写真右の辺り、大きな木が用水路沿いに並んでいる地点がありました。
通常公園や街路などで見かける、植栽された「ヤマモモ」の大きさをはるかに越える、このたたずまいにナニモノカを感じ、
この先に何かがあるに違いないという思いがわきあがり、衝かれたようにこの坂をのぼりました。

uramiti_kosigoe (4).JPGその道突き当りには、広町・谷ヶ家城址ハイキングコースの入り口がありました。
(鎌倉山、極楽寺辺りを通り、大仏まで至るコースもあります。)
これは思いがけないすばらしい発見でした。


「裏道を歩む」という姿勢は
時に偉大なる発見をもたらしてくれます。
表舞台(県道)を通行するだけでは決して出会えないものです。
posted by renn at 16:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 小さな旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする