2006年03月30日

花見のはしご2006〜名所を巡り県央を縦断

最近、「酔狂なる自転車行」から遠ざかっていました。
どうせアソビなんだから、効率を求めたり、理由付けをしたりするのは止めにしたほうがいい、「とりあえずイッちまえ」という思い切りの良さがありませんでした。

昨年の花の季節、「水辺一筆書き」などと銘打って満開の桜を巡ったものです。
それは4月10日のことでした。
昨年に比すと、今年は開花も早いようです。
今、8分咲きのようですが
この勢いでゆくと今週末にはどこも満開となり
そしてあの狂騒が生まれるのでしょう。

実はこの”イマ”こそが「花見のはしご」にはベストな時ではないのか・・・。
そう思うといても立ってもいられなくなりました。
本日たまたま仕事に余裕があり、
また日和もよかったので、出かけてきました。

足跡概要:
辻堂引地川北進→境川相鉄辺り・桜のトンネル桜ヶ丘(国道467号線)→大和千本桜泉の森→座間・相模が丘桜並木→座間・東原桜並木→綾瀬・光綾公園綾西緑地→海老名市・河原口(相模川沿い)→相模川右岸・戸田渡し近辺→寒川神社表参道など。
撮った写真43枚。走行距離94kmでした。

事前にあまり深く考えず「とりあえず神奈川県の真ん中辺りでも・・・」
そういう風に北進しました。
その結果、今日の行程をまとめるにふさわしいタイトルは
桜の名所を巡り、県央を縦断」という風なものになりました。

hanami_tujido_03.jpg hanami_hikitigawa_02.jpg hanami_sakaigawa (4).jpg
左:近隣の公園 中:引地川 右:境川湘南台近辺、桜のトンネル

個々の場所はいいものです。
桜という主役を見せるやり方も(おそらく意図しないものでしょうが)
いろいろなパターンがあるということもわかりました。
しかし、その点をつなぐ「線」、
県央部の幹線道路の不毛さにはホンと、まいりました。
(狭くキズだらけの道、通行する大きな車、違法駐車の群れ、逆走するママチャリ軍団、排気ガスにまみれ、煤だらけの雑木林に隣接している産廃業者、大規模な病院と老人介護施設の連なり・・・ETC )

hanami_sennbonn (4).jpg hanami_higasihara.jpg hanami_kohan (2).jpg
左:大和市千本桜 中:座間市東原 右:海老名市河畔公園

今日一日流していて
「自然が豊かなところには桜は少ない」
そういう事実に気づきました。
実際自然のなかで自生しているものは少ないようです。
もともと人がめでるために植えたもので、
公園・寺社・学校・工場・街路樹など
人間の産業活動に寄り添い、生かされているかのようです。

その花は絢爛を極める美しさと、圧倒的な量で人の気持ちを大きく揺さぶりはしますが、
見る者の気持ちを和やかにし、自然に還る喜びを呼び起こす、という感じではありません。
人はその足元に集い、めで、食い、飲み、浮かれ騒ぐ、
「花見」というのは結局、ある種のお祭りなのです。

一日中桜ばかり見ていました。
もうカンベン・・・という、うんざりした気持ちもあります。
帰宅途中で見た生垣のレッド・ロビンさえ、美しく新鮮に感じられました。
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2006年03月28日

なりこま家

県南部から横浜中区・西区を越え15号線を北進する時
いつも横目に眺めながら通過していたところです。
narikomaya_soto.JPG
外面は目にまぶしい原色の看板に定食・牛丼などと塗りたくられており、
ちょっとソソらないものも感じます。。
いつも飯は横浜中心部で食っており、その先へ行こうと通過する際、
「この行列はいったいナンなんだ、どういう現象なんだ・・・。」
そんな風にいつも気にかかっていました。
この日、たまたま行程と日和と腹具合に一致を見て、
積年の思いを晴らすべく(←大げさ・・・)踏み込みました。


膳の供し方はまさしく松屋風です。
奥で調理をし、フロア担当者が入店時のお茶のサーブ、盛り付け、供応までこなしています。
店内はグリルする過程で立ち上る煙、あるいは客の半分が必ず点灯するタバコの煙により霞がかっています。その靄を引き裂き差し込む陽光が美しいです。・・・?
カウンター内部、食材がかつて内梱されていたダンボールが投げ打ってあったり、油で汚れた壁や床など、うらぶれた感じを強く醸しだしています。

飯・味噌汁・おしんこなどは和系チェーン定食屋と甲乙、乙丙?
つけがたいといった感じです。
しかしおかずにはそれなりのこだわりがあるようです。
それこそがこの店のウリです。

代表的なメニューがA4サイズで出力&パウチされ、店内に脈絡なく掲げられています。
各メニューに対しそれぞれコピーが添えられていて、それを見るもの面白いものです。
唐揚げ390円:「しっかり味がついています。」
カルビ丼480円:「当店人気No.1、雑誌でも取材されました。」
ハンバーグ530円:「出来上がりまで10分〜15分程度かかります。」
しょうが焼き600円:「栄養満点ポーク」(というような趣旨。実際の文章は失念・・。)
など・・・。

本日は3回目の訪問でした。
今まで「待つ」と言われ、敬遠し続けてきたハンバーグを敢えて選びました。
待ちに待って出てきた皿はこんなものです。
narikomaya_humburg.JPG
かなり予想に反したものでした。
こういう肉らしい肉料理であるとは思わなかったもので・・・
「ゾロ」←(自サイトへのリンク)に於いてグリルドミックスを体験しない(超ローカルネタスマソ。しかしこれほど最適な表現もない。)のは、店の真価を知ったことにならないのと同じく
「なりこま家」でハンバーグを食らわねば、何も語れないというくらい、それほどこの皿は突出しています。
(すごくウマい・・・と無条件降伏のように言っているわけではないのでそのあたりお汲みおきください。他では味わえない、唯一無二のものがある。そういう観点です。)

つなぎ、たまねぎなどで装飾しない、グリル系のハンバーグです。
写真真ん中のやつは肉汁が少し逃げていました。
食感が硬めで、咀嚼に対する労力も半端なものではありません。
これはゴムのように硬い、レトルト系のパテに似ているといっているのではありません。
ひき肉自体の肉質はどうであれ、本当に「肉を喰らっているのだ」と強く感じられます。
ただ同じ味付けのものが3ヶあるので、後半は飽きてしまうかも知れません。
3ヶあるやつを違う味付けにして、飯のグレードを上げたなら、
この店・・・近隣において最強のBグル店になる資質を備えています。

PS.この店で働く方、
ほとんどが「おばちゃん」なんですが一人だけ若い男性がいました。
(別の日は若い女性でした)
このフロントに立つ若者の、接客、オペレーションはホンとすばらしいものです。
松屋・教育担当部長?にでも採用したら・・・と思うほどです。

2006年03月26日

散策する人

欧州を放浪していた頃、コートダジュールへも立ち寄りました。
ニースで「シャガール美術館」だけ見てしまうと、その後自身の居場所がないことに気づきました。
所詮、フレンチ・リビエラなど貧乏学生の立ち寄る場所ではありません。
結局カフェにもレストランにも行かず、まだ陽の高い晩は港を散策していました。
そこですれ違った多くの中年男子。
無聊を慰めつつ歩んでいるその姿、
その密度の高さに常ならぬ感慨を覚えたものです。

私、今なら解ります。
仕事やら家庭やら、意図せずとも自らがつくってしまった檻の中で生きていると、心の中で何らかの中和作用を求めざるを得ない状況がやってきます。
人によりそれが「色」であったり「酩酊」であったり、「打つこと」であったりもします。
自身を包む周りの世界を無為に歩く事、
それは一番おとなしいカタチですが、
自身に還って行ける時間をつくり出すという意味で、効果的なカタルシスとなります。

散策中、あるイメージを想起することは多いものです。
ふと見た路傍の花、その色、姿形、匂いなどから
記憶の中のある情景が浮かび上がることがあります。
何故この時、この場所の情景に呼び起こされたのか、
自身に潜在していたものを掘り起こすこと、
それがどういうものであるのか、突き止めることは楽しいことです。

tetugakudou.jpgtetugakudou (2).JPGtetugakudou (1).JPG

東京都中野区。
「哲学堂」という場所があります。
なにやら思想界の”ある学派”の本拠であるような名前ですが、その実態は単なる公園です。(詳細はリンクを参照)
何も感じない人には多くのレゲエが屯する、東京都の幾多の公園と、何も変わるところのないもののようです。
しかし、ここ・・・非常に興味深いところです。
歩くことが思索を促す、「散策」の醍醐味が味わえるところです。

初春、淡い陽の差す静かな平日、天上界へと至る階段にて歩を進めているとき、ある記憶がよみがえりました。

philosophersweg_02.JPG philosophersweg.JPG

「哲学者の道」〜ハイデルベルグ
少し肌寒さも感じる風が吹く日、ゲーテも歩んだという地面を踏みしめ、思索することの尊さを思い、眼下のネッカー川を望み、”変わらない良きもの”とは何なのか、翻ってわが国の現状、高度資本主義の発展とともに押しつぶされそうになっている旧来の思想について、
そしてそんな現状になんら対抗できない現代思想についても考えたものです。
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2006年03月21日

春分の日

今日はイチ「春分の日」でありますが、
後世まで記憶されるのでしょう。
一番の話題としては、WBC日本優勝という偉業。

もう少し近い事としては、関東地方においてソメイヨシノ種の桜が7分咲きとなり、開花宣言が出されたこと。
その日が偶然にも「春分の日」であったということです。
(ちなみに一昨年は3月19日でした。
昨年はどうもはっきりしません。
日記には食った事した述べられていなかったもので・・・。)

今までの寒く・暗い夕方を記憶しているものだから、
今日など、やけに夕暮れが長く続くものだと思い、嬉しくなりました。

季節折々の、自然現象にからむ事柄を用いて
祭日として設ける国って他にないように思います。
多くの国は、宗教的なものか、偉人にちなんだもの、
あるいは歴史上の重要な節目となった日を祭日としているようです。

昼と夜が同じ長さである。
そこに重要なものをみて、国民の祝日にしている
この国の民の根本にある、そういう感性が好きです。
そう思う人は少ないのかもしれませんが・・・。
posted by renn at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月20日

続PC生活

今日のマキシム:
1.転ばぬ先の杖
2.備えあれば憂いなし

先日、常時携帯しているノートパソコンの電源コードを唐突にぶち抜いてしまい、
強制シャットダウンしちまった後、ウィンドウズが立ち上がらなくなってしまいました。
ズイブン前に逝っちまった「日本IBM」の後半期の”名作”であるこいつは、
無骨なメーカーのアイデンティティーとも言える「つくりの堅牢さ」には乏しく、電源コードの差込口も長年の過酷な使用により「ゆるゆる」になってしまい、少しの衝撃で簡単に抜けちまうようになっていました。
ここ数日何度も引っこ抜いては、電源を入れなおすことを繰り返していました。

そんな事実もあり、
また新たにプリンタドライバを入れたり、
幾多のネットワークにつないだり、
新しい環境に馴染む時に付きまとうストレスもあったのでしょう。
このところ起動の際実に不安定で、ブルースクリーンが頻出していました。
そして今日、
繊細なコンピューター機器に対するにあるまじきぞんざいな扱いに,、さすがに堪忍袋の緒が切れたのか、一気にへそを曲げてしまったようです。

STOP: c0000218 Unknown Hard Error
Hard Unknown Error
Beginning dump of physical memory.
Physical memory dump complete.
Contact your system administrator or technical support group for further assistance.

この症状に関し詳しいサイトがあります。
以下このサイトの内容の抜粋です。

このページに来られた時点でおおよその見当はつきます。
ひとまずお察し申し上げます。
C0000218はWindows2000がリリースされた当初から発生が確認されているエラーであり、
にもかかわらず今にいたるまで完全な解決策が編み出されていないという
Windows最凶クラスのエラーです。
この原因不明の凶悪なエラー症状から、「死のエラー」という別称で呼ばれています。
 
このエラー症状はWindows2000/XPにおいて、レジストリ部分のファイルの破損によってOSが立ち上がらなくなるものです。
OSロゴが現れた後のブルーバック画面にエラーメッセージが白文字で表示され、以後リブートを繰り返します。なお、以下に表示されるであろうエラーメッセージを記述しますが、他にもいくつか存在すると考えられています。


回復コンソールの導入により起動できるかも知れない。
今までそれで何度も切り抜けてきました。
酩酊して帰宅した状態で、すぐにノートパソコンにCD−ROMドライブなどつなぎ
修復を試みていると、電話が鳴りました。
時は午前一時、「いったい何やネン」
グチグチと長くなる電話を適当にかわしつつ、コトを進めていましたが、
Administorのパスワード云々というところでつまずき、
それ以上進める気力をそがれました。

どうせハードディスクをフォーマットしたところで、失って惜しいようなファイルなんか無い!
日ごろからきわめて周到に、こいつがいつ落ちてもいいくらい
すべてのデータはデスクトップパソコンに移している筈だ。
そう思い違いをしてしまいました。
それは酩酊が生んだ大雑把な強引さ以外の何物でもないのですが、
「力技のリカバリ」に出てしまいました。

失ったもの、
1.ここ2ヶ月分・職場近辺にて食った記録(エクセルにて保存)
2.ここ1週間ほどの写真ファイル(オリジナル。特に鶴見に遠征し、なりこま家・生麦魚河岸通りの情景を撮ったものは、失うには惜しいものです。)←(そのうちリベンジ?します。再取材の後UPします。
3.いくつか用意していたブログ用記事の下書き
4.今までブログにアップロードしたすべての画像(元写真は別のところにあります。縮小等の加工をしたものだけですが何をアップロードしたのか・・その記録という意味で重要なものです。)
5.メールアドレス、およびメールデータにて保存してあった、ユーザーアカウント等の情報。
6.これまでちまちまと教育してきたIMEの学習成果が一気に失われてしまいました。
これが一番イタい(←このような平・カタ混在表現を単語登録していました)ところです。

作業は煩雑を極めました。
実は私のノートパソコンってMeをアップグレードインストールしたXPが入っていたのです。
リカバリしてMe
→XPにアップグレード
→SP2にアップグレード
→最新OSに対応するドライバに交換
→余計なもの(メッセンジャー、ムービーメイカー、MSNエクスプローラ等)削除
→オフィスインストール
→必要なフリーソフト(窓の手、桜時計、TeraPad、+Lhaca等)ダウンロード・インストール
→無線LAN設定
→ホームネットワーク構築
これで半日を費やしました。

この一連の作業により、
現在のコンピュータ事情に気づかされました。
一番感じいったのが
「SP2にはファイアーウォールが標準で装備されている」という点です。
設定の仕方により利便性とも共存できるものなのかも知れません。
もとより安全と便利さは、相容れないものがあるのかもしれませんが、わたしが思う”快適な動作”とは異なり、さまざまな妨害をなしてきます。

フリーソフトをダウンロードしようとVectorあたりから引っ張ってくると
そのたびに中断し、警告を告げるポップアップが出るようになっています。
無線LANなど頻繁に通信不能になります。
今まで普通に使えていて何の不具合を感じることもなかったのに、新しいものが入ってきて、そこに葛藤が生まれます。
なんか・・・社会の縮図を見る思いです。

5年前といえば、Windowsの革新的なOS、
NT系と家庭用PCとの融合を標榜したXPが登場した年と記憶しています。
コンピューターの5年は人生の25年に相当するかのように
ひとつのジェネレーションといっても差し支えないほどです。

ある種の天啓のようなものを感じたのです。
「コンピューターの世界は常に新しいものに触れていないといけない」
つねに表層にいなければいけないのだ。
今回のドタバタは帰しくも、コンピューターへの興味を再び呼び戻してくれました。

現状を見ることなしに潮流を見極めることもなしに日々漂っていた自分が
半ば意図的にコードをぶち抜き、
OSが立ち上がらない状況をつくり、自身を今のPC世界のフロントラインに立たせたのかもしれません。
posted by renn at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月19日

WBC日本の勝利

今日一番のイベント−WBC
先日終わったと書きましたが失礼・・・
まだ続いているようです。
その発言を訂正する意味もあり、ふれさせていただきます。


前回韓国戦後のイチローのインタビューに感じるところがありました。
Q:「勝った韓国と負けた日本の一番の違いは・・・?」
A:−20秒ほど沈黙の後−「・・・それが・・・あるとは・・思えない。」

王監督は「相手の勝利への執念が勝った」といいました。
マスコミは韓国選手の負っているものの大きさを挙げ、
「気持ちで負けない」流の精神論を持ち出す者もいました。
イチローの気持ちはよくわかります。
先の韓国戦2試合も「負けた」っていう感じがしなかったのでしょう。
国を代表して戦っているという強い思いもあり
決して技術や気合で劣っていたわけではないのに
何故か終わって見れば、相手よりも得点が低かったというだけのことに感じられたのでしょう。

「勝負は時の運」
あまたの人々がそう感じ、引き継がれてきた言葉です。
日本チームもこの試合の7回表、やっと時の運を捕まえたようです。

今日の試合も前半はいつものように
得点のチャンスが何度もありながら、ある種神がかり的な好守に何度も阻まれ
「どうしてこうなっちまうんだ」と思えるほどの歯がゆさを感じました。
鋭い打球は野手の正面に飛ぶ。
守備範囲ぎりぎりに落ちようとするフライは相手のファインプレイをさそう。
高く舞い上がった飛球は風に押し戻されフェンスぎりぎりで失速する。
まるで日本の勝利を妨害する何者かの意思がはたらいているようです。

このまま日本に点が入らず、またエラーがらみで先制点を許してしまうようなことがあると、おそらく勝利はなかったでしょう。
そして今までのアメリカ・韓国に敗れた試合と同じく、なんとも不透明などんよりとした敗北感を覚え、完膚なきまでに叩きのめされたというような、ある種すっきりとする、さばさばした感じを持つことはできないでしょう。

しかし福留が打ってから今までの停滞が嘘のように、すべてがよい方向に向くようになりました。
「流れ」という目に見えない、厳然たる存在があります。
そしてそれは人や、物事の調和を司っています。
今日の試合はその「流れ」が明らかに感じられました。
勝負の世界・スポーツの世界を通じて
またひとつこの世の不思議に思い至ったしだいです。
posted by renn at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事、ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月16日

今週のバーグ

WBCもやっと盛り上がってきました。
そのとたん、突然終わりを迎えました。
先日のメキシコ戦では溜飲を下げましたけれども・・・。

今日は仕事休みだったので、昼からのテレビ実況を見てもよかったのですが、ちょっとした不安要素があり、(実はそれが的中したのですが、)
リアルタイムで日中の3時間ほどを費やし、気分悪い・・・で一日を終えてしまうのは、なんとも避けたいものでした。
そこでPCにて録画することにして早々に出かけました。

昼時には横浜に来ており、”この店”の従業員たちの会話を聞くことができました。
話題はやはり野球のことです。
「今日の試合は何点差で勝ち、失点を何点に抑えれば・・・ETC.」
11時少し過ぎであったので客も少なく、いつものテンパッタオペレーション具合ではないようで、
雑談の余裕もあったようです。

というわけで、久々の「バーグ」ネタです。
たまたま公園通りに足が向いてしまい、開店前弥生町店・店頭にある”おすすめのアクリルケース”を眺めてしまいました。
そして今週のおすすめがピカタハンバーグであることを知り、
どうしてもスルーすることができず、しばし界隈で時間をつぶし、11時少し過ぎに入店してしまいました。


「ピカタハンバーグのせカレー、820円」

おすすめの中で常に上位を争う人気メニューです。
今日は盛りも結構多く、何より感嘆した点は、この皿がかなり丁寧な盛り付けで、見た目にもきれいだったことです。

満足度という観点から見ると少し低いものです。
軽く失望を覚える感じでした。
「もっと、うまかったような気がする」という思いが払拭できずにいます。
前回食したとき”うまい”と思った記憶が、長く経つうち自分の中で増殖されてしまった感があります。
自分のうまさ指標の修正を求められることです。
それでも幾多の「おすすめ」の中では
トップクラスであることは言うまでもないのですが。

春への始動

三寒四温
冬来たりなば、春遠からじ
季節が春に向かって行くどこか心躍る気持ち、
それはだれでもが等しく味わうことができます。それもタダで・・・。

環境により、本人の嗜好により、
自然に馴染むことのない生活をする者にとっては
季節を実感することはあまり無いのかもしれません。
実際、3年くらい前の私がそうでした。
(暖房器具をしまう頃、いつの間にか桜が咲き、そして散り、
暖かくなってきたなと思うまもなく、蒸した雨の日が多くなり
汗が滲むようになると、扇風機などを出してきたり、
そのうち日も短くなってきて、肌寒さも感じるようになると、
ヒーターのスイッチを入れる。
そして曇天が覆う寒い季節がまたやってくる。
そうやって月日を過ごし、朽ちてゆくかに思われました。
春の花や、夏の潮の香りも、秋の虫の声も、冬の陽だまりも何も無い日々でした。)

春・秋の曖昧さがスキです。
それは、日本らしい独特の具合があります。
しかし本年の春の始まりは、暖かくなるかと思えばそれが過剰にはしり、南風が吹き荒れ、気温も20度手前まで上がってみたり、
寒くなるときには春の要素のかけらもない、凍えるばかりの過酷さになってみたり。
どうも「勝ち組・負け組」などと類型化したがる、この国の体制一元化と同じく、白と黒しかない、単純極まりない考え方が気候にまで反映されてしまったのかと思えるほどの「わびさび」の無さでした。

本日、関東首都圏にはこのところ久しくなかった
春らしい、空気に少し霞の漂う、
暑すぎず・寒すぎない、穏やかな日が訪れました。
そういう”ぬくい”空気の中にいると、真っ直ぐ前を見て闊歩するというより、おのずとぼんやり周りを見るようになります。

昼食に出てしばし散策する折、
尋常ではない数の、ヨソイキの装いの中年女性に遭遇しました。(東京都中野区にて)
彼女らの脇をすり抜け、歩道を歩んでゆくと、その先に「大妻中野中学校」があり、
今日は卒業式が執り行われていることがわかりました。

mokurenn_06_isezaki.JPG門前で卒業証書を胸の高さに掲げ、母の構えるカメラに向かいポーズをとる多くの乙女の様子に、心洗われるものを覚えました。
校門のすぐ横の街路には、辛夷(コブシ)がそのつぼみを大きく膨らませていました。
これから未知なる新しい生活がまっています。
春本番に向かう躍動を待つ時です。

PS.この日残業の後、帰宅途上の車内には、
やはり尋常ではない数の、酩酊した中年男性の集団が乗り合わせていました。
「春闘回答日」
その興奮に包まれているようで、車内でもことさら騒音を振りまいていました。
これも春の一風物詩なのでしょうか。
posted by renn at 00:18| Comment(0) | TrackBack(2) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月11日

本年のラーメンや来訪記

ブログの即効性、一過性を思い、
食について何かを記すとき、こんなものがふさわしいのかも
と思い、書いてみました。

1/4「すずの家」@藤沢本町


ラーメン。うわさには聞いていたが、ホンと塩っ辛いラーメンでした。
豚骨ベース、塩、醤油、脂にて味付け。
あさつき状の青ねぎが大量に載っています。
チャーシューは少し臭みがあり。
麺の腰が弱い感あり。
昔・茅ヶ崎にあった(今の一世のところ)大亀の味を彷彿とさせました。

1/6「まつり家」@藤沢・遠藤


店舗が広くなりました。
加えて食後現金清算制から、事前食券購入式に変わりました。
今までの入り口から入ると、食っている人の背後を通り過ぎ
増設された部分の奥にある食券売り場まで行く必要があります。
この店舗拡張により、今回受けた率直な印象。
今までよりも更に、落ち着けない、くつろげない店になっちまいました。
今までまともな時もあったのですが、今回のごはんはやはり今ひとつでした。

1/6「荒湘」@藤沢


続いて、醤油ラーメン550円を食っちまいました。
そして分かったこと。
ラーメンってこのくらい熱くなきゃいけないのではないのか・・・?
ということです。
今日の麺類2杯食いは期せずして
まつり家のスープのぬるさを気付かせてくれた格好になりました。
荒湘醤油ラーメン
壱六系の味。
麺中太、少々縮れあり。
チャーシュー、まずし・・・
鶉の卵、味がついていました。うまし・・・
スープの脂、多し・・・
さらっとしています。そのワリにはダシ感が強い。
化学調味料の匂いを感じます。
しかし・・・結構うまいです。
ワリとすんなり平らげました。

1/8「吉佐」@茅ヶ崎


醤油ラーメン・650円、ランチタイムライス無料提供。
濃厚、豚骨・鶏がらプラス魚介の風味は最後まで消えず。
麺、中太、ストレート、ちょっと固まったところあり。
のりしっかりしたもの。
ねぎの白い部分の刻んだものが大量に載る。
チャーシュー、もう少し脂分が欲しい。ちょっとぱさつき気味。
しかし周りではなく表面を炙ったものでその風味には感嘆しました。
全体的に大変満足のいくもの。久々の"ヒット"が出ました。
(ホームランといってもいいか・・・)

1/24「大西」@大磯、花水川沿い


ここにくるのも3年ぶりくらいでしょうか。
値段が少し上がっていました。
ラーメン700円。
こんなにうまかったっけ・・・?
という感想を持ちました。
◆スープ:例によりどんぶりから滴るほど並々と注がれています。
その結果上部のラードまで、トレイに落下してしまいました。
これがもったいないところです。
このラードの蔽いはこのスープを特徴付ける最たるものだからです。
強いしょうゆダレはかなりしょっぱいものです。
強いしんがあり、濃厚なものです。
◆麺:手打ち風、縮れの強いもの、柔く、量も多いです。
これも特徴のひとつでしょう。
◆チャーシュー:これは感動もの。バラ角煮タイプで濃い味付けがなされています。
炙りの行程が加わっているようです。
スープの濃さに負けていません。
◆メンマ:こちらも濃い味付け、王道的普遍性のある味。
多量に入っております。

2/6「一乃利」@茅ヶ崎・産業道路


横濱ラーメンと謳っています。
そのとおりですが、かなりライトな家系でした。
◆スープ:一口目でかなりのダシ感を感じました。化の力も大きいようです。
とんこつの骨太さがほとんど感じられない、あっさりしたものです。
しょうゆダレはそれほどきついものではありません。脂は標準量。
特徴的なのはかなりの熱さを保っているところです。
◆麺:極太、若干の縮れ、湯で加減はちょうどよいものです。
また時間の経過とともにへたってくることもありません。
◆トッピング:海苔は3枚。いいものを使用しているようです。ほうれん草は少なめ、風味悪し。
そして問題のチャーシューです。
厚め、小さめのものが2枚入っているのですが、相当な臭みが残っていてうまくないものです。
パサパサな食感もいとわろし・・・。
ラーメン中盛が700円でした。
出てくるまでにかなり時間がかかったこと、これもひとつのマイナス点なのですが、先に来ていた中年2人連れがこの店の新聞3種を独占して手元に置いており、初めてこの店に来た自分には、それがこいつらの所有物なのか、店の供応物なのか判断しかねました。
独りでやって来て、ぬるい水でも飲みながら、ぼんやりと動きの少ない厨房内を見るともなしに見ている・・・。
その無聊さはやりきれないものでした。
新聞を読みたいのはこういう客の当たり前の心理であり、其れを妨害するこ奴らの盲目さは、
ほとんど憎むべきものといってもいいものです。

2/11「ねぎ家」@藤沢・鵠沼海岸


何回目でしょうか。
やはりチャーハンセットを食らい、腹いっぱいになりたくて通ってしまいます。
今日は、さらにスープのとんこつ風味が弱くなったように思い、
ストレート麺の持ち上げも弱いので、
ラーメン自体非常にあっさりしたものに感じられました。
その代わり化学調味料と、しょうゆダレの辛さは強いので、
後にかなりの乾きを覚えました。
極論ですがこの店はラーメンのみよりもチャーハンプラスが満足度高くなります。
近隣でうまいチャーハンを食えるところがあまりないだけに、
ここは貴重な店なのです。

2/18「横濱飯店」@茅ヶ崎


肉そばを食らってきました。
カウンター7席、奥にテーブル席があります。推測ですが4名×3くらいでしょうか。
腰掛けるとカウンター前面の壁が妙に高くなっていて、違和感があります。
長テーブルの上にはいろいろなものがおいてあり、加えて店主がラーメンどんぶりに山と盛った白い粉を置きました。
料理の登場までかなり待ちました。
15分くらいでしょうか。
そのあいだ、親父は常連と思しき待ち客と終始しゃべっており、
なべを振りながらも、タバコをふかすのをおろそかにすることはありませんでした。
???・・・大丈夫か、この店・・・???
かなり大きな不安の塊が心をよぎるのですが・・・かなり待って出てきた器は、サンマー麺もやし抜き、といった感じです。
きくらげ、白菜、豚こま、青菜、それが餡を構成する要素です。
スープは、味付けの濃いもので、酸味を感じました。
その熱さ半端ではなく、大量に表面を覆う脂により常に高く保たれています。
麺はかため、中細、ストレートでしたが、後半はへたってしまいました。これは中華料理屋の麺料理が等しく持つ弱点であり致し方ないところでしょう。
しかしなんか居心地のよくない店です。時は12時を回り、立って並ぶものが店内に入ってきています。
そいつらが一メートルもないくらい直に背後にへばりついてきます。
落ち着かないものを感じたので、早く食ってこの場を立ち去ろうと思えども、この舌を焼こうかという麺料理を、かっ込んで食うわけにもいかず、たらたらいただいていましたが、私の食った一時例からもわかるように、客の回転の悪さも行列に拍車をかけていると思われます。
それに、なぜか料理の出来上がりも中華料理屋の標準からするとかなりおそいようにかんじられますし・・・。
最後会計のときもなんかすっきりとしておらず、料理を食って金を払ってくれてありがとうという素直な感情の発露が感じられません。
久しぶりに無言で店をあとにしました。

2/21「相模家」@平塚


このところ何度も訪れているところです。
並ぶことがない、程ほどの客の入りで、食うことをせかされることはない。
読み物がある。
重い食い物で、満腹感を味わえる。
そのような要素から、ここを選んでしまうのでしょうか・・・。
いつもの塩、キャベツラーメンから趣を変え、
今日はしょうゆ、中盛りをたのんでみました。
そしてこのラーメンの決定的な瑕に気がつきました。
やはり「麺」なのです。
この四角い断面のストレートなものは、
どうもつるつるとしすぎているようで、
箸を持ち上げ、口元に運ぶ折、逃げてゆくスープのうまみを残念に感ぜずにはいられません。

3/4「真鍋家」@藤沢・用田交差点


少しばかり冷たい風が、北から吹いていたので、何度も頓挫しそうになりましたが、どこか新しいところへ行きたいという欲求が勝りました。
引地川沿いを進み、湘南台から43号線に入り、12時少し前にたどり着きました。

広い駐車場と、新しい店舗、内部の清潔さに目が行きます。
にんにく・しょうが・豆板醤の3点セットは、小さなつぼ状容器にきれいに入れられています。
高いカウンターと広い食事エリアも印象的です。
出てきたラーメン自体はホンと標準的な味です。
スープのとんこつ濃度が少し不足しているかなという感じも受けました。
麺固めでお願いしたのですが、もちもちとした食感は相変わらずの素晴らしいものです。
しかし・・・酒井製麺のモノって、こんなに短かったっけ・・・?
どうも口中で脇に逃げてしまい、しぶとく絡み付いてくる快感が失われてしまいます。
この点だけが非常に残念なところです。
系列店で言うと
スズキ家 = 菊池家 > 奥津家 > 真鍋家
このような個人的優劣になってしまいますが、いかがでしょうか。


3/6「大周軒」


醤油ラーメン600円。
最低価格ですが、チト高過ぎ。
ただ、麺はとてもおいしいものです。つるつるした舌触りが快感です。
ランチ時は、ゆで卵、半ライス無料。
それを勘定に入れると、こんなもんなのかな・・・。

3/11「松壱家」藤沢


およそ一年ぶりでしょうか。
味レベルの割には、いつも混んでいて、店外にて待ってまで積極的に食いたいという強い思いはなく、いつもスルーすることになっていました。
今日は、1時前という時間にもかかわらず、半分ほどの客の入りでした。
少しばかりの疑念(味オチタノカ・・・?)を抱きながら、入店し、
とんこつ醤油大盛り750円を、好みすべて普通にてお願いしました。

麺の縮れ具合があまり強くなくなったようで、滑らかなストレート・壱六系に近くなりました。
モヤシ、シナチク。家系に合わないもの2大巨頭といっても差し支えないものがデフォで載るようになりました。
確か、替えられる筈だったが・・・と思っていたのですが、とっさにその告知を見つけることができず、(券売機の上方に貼ってありました。〈モヤシ・メンマの代わりにチャーシューもう一枚か、50円分トッピングに代えることができます。〉しかしなぜか目に入らず、席に着き周りを見回すもそれらしき告知を発見できませんでした。(正面の客のでかい頭にさえぎられ、目に入りませんでした。)
いったい家系にモヤシを入れたいと思っているやつなんているんでしょうか・・・?
すぐにでも改めていただきたい点です。その分の担保として、50円値上げをしたとしか思えません。なんかかなり損した気分がします。
かつてのスープのコク、骨髄のどろどろ感が失われてしまったようです。
真っ直ぐになった麺とあいまって、なんともさっぱりとした器になってしまいました。

真実を伝えること

歴史というのは常にそのときの為政者の側から書かれるのが常であって、
二面性があるものです。
真実というのは時にひとつではなく、
パレスチナの正義と、イスラエルの正義が相容れぬように、
語る主が違えばそれはまったく別のものになります。

世界のすべての歴史が間違って理解されている、ということがあるのだろうか。
過去はすべてその時代の愚かな民衆についてだけ語ったのだから誤謬である。
中心をなす一人の人間についてこそ語らねばならぬのに、それが未知でありすでに死んでしまった。というだけの理由で、有象無象の周囲の人垣をつくって、すむのだろうか。
〜マルテの手記



言語表現というのは
何を著すか、何を伏せるか
すべて執筆者の自由に委ねられるという特徴があります。
映像はそうはいきません。
映っているものはどこにフォーカスをとろうが、枠内にある限りすべて伝えられてしまいます。

真実を伝えるべき使命を負った、マスコミニュケーションといわれる新聞、テレビ、雑誌などの媒体においても、現代世界を等しく覆いつくす高度資本主義の論理に支配されてしまっているようです。
そしてその流れは、等しくこの世の枝葉末端にまで及んでいます。

かつて、真実を語ることで、正義を示す優越感に浸っていた彼らは、今では商業主義に毒されたような、非常に偏った表現がしかできなくなっているようです。
すべての事象につき公平な価値感を有し、森羅万象、すべて知覚できるくらいのバランス感覚を持ち、イメージを具現するように語ることのできる人間などもとより今の世では非常に稀有なものなのです。
たとえば広告の世界。
いくばくかの掲載料金をとり、レポートなどと銘打って
お勧めレストランなどの記事をWeb上に配置する。
多くのサイトが提灯記事で占められているということはみればわかることなのですが、
そんな記事があまりに多く流布しているものだから、それがあたりまえの表現のかたちなのだと思ってしまう図式ができてしまったようです。
ネット上の大多数の記事は、提灯記事流の表現様式に影響を受け、
「事実を羅列してるだけ」
「ほとんど何も語らない」、
という姿勢を持つのが、当たり前であるという認識ができてしまい、
多くのブログでは狭い円環で生きる者たちが、学芸会的にコメントなるものをさらしているだけのようなものばかりになり、個人が持つ固有の意見・感想などは一向に語られることはありません。

今回のトリノ五輪において、
真実を伝えるというところでは、かなり危うくなったこの国の報道の類型が見えました。
たとえば、スノーボードハーフパイプ。
事前の記事では、
ワールドカップにて日本人選手のメダルラッシュ!!!
五輪においてもメダル確実!!!
などと、視聴者を煽るような記事が多くみられました。
なるべく高い視聴率をとりたいテレビ局。
そこに宣伝広告を貼ってしまった企業。
その合間で、この一大スポーツイベントを盛り上げなければ「やば〜」などと思っている代理店。
その図式がよくわかります。

つまり・・・
スノーボード競技中継をゴールデンタイムに配するのは無理があり、
事実だけをみるなら、日本人選手がメダルをとる確率なんぞ、1パーセントもなく、
にもかかわらず、テレビ放映の妨げをしてはならないという深慮があり、
その結果が生んだ、今回の欺瞞だったのです。
実力の違いははじめからわかっていたのです。
競技の実況を見ていたとき、メダリスト・アメリカ人選手と
ちんけな倭人・小僧連中との演技力の違いなんて、
同じ競技という枠の中で戦っているのか・・・?
と疑ってしまうくらいの隔たりがありました。

有終の美、終わりよければすべてよし、などとは決して言えないでしょうが、
荒川選手が金メダルを取ったのは、アメ、ロシがともにこけたからだと
言える人はいるのでしょうか。
お祭りはあくまでお祭りでしかないのですが、
posted by renn at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事、ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする