2006年02月27日

メジロに癒された日々

帰り際、
庭園の入り口あたりを撮影していると、
ひときわ高さを持った木の枝では
鶯色の物体が花から花へと飛び回っていました。

先日コメントを寄せてくださったみーさんの言葉
「安静・療養」という語に妙な符合を感じました。
私も5年前のこの時期、
ベッドに臥せっていることを余儀なくされた身でありました。

今まで、この庭園に足を踏み入れることはあっても
なぜか遊歩道をたどり美術館まで上ってゆくことはありませんでした。
今日何故、八木重吉の碑を見ることになったのか。
そう思ったとき、頭の中で何かがカチリと音を立て、スイッチはつながりました。
鳥のこと、春のこと、病のこと。
輪は閉じ、捉えがたい”思い”は、言葉で語れるようになりました。

5年前。海辺の高台にある療養所に永く滞在していました。
食事時供されるものの中から、老人たちが食べ残す膨大な物のうち、フルーツやらパンやらを失敬して、窓際の植え込み下に配置するのが日課でした。
スズメやヒヨドリはすぐにやってきて饗宴を繰り広げていました。

南側に向いた病室の窓のすぐ脇には、東西に長く横たわるシャリンバイの植え込みがあり、
春も近づくころになると、その骨ばった枝をわたり、辺りを覗うように、なんともかわいいやつがやってくるようになりました。

初めは近くの梅の花の蜜を吸いにやってきていたのでしょうが、そのうちオレンジなどのフルーツ類を配した時には窓際にもやってくるようになりました。

「メジロ」という鳥は、こちらが本気で捕らえようとすればそれも不可能でないと思わせるくらい近くまでやってきて、人を恐れない大胆さ・無防備さがあります。
「目白押し」といわれるように互いにぴったりと寄り添い、狭い枝にとまっている様、
しばしば鶯と混同されるように、美しくかわいらしい声。
見ているだけで、ほんのりとした気持ちが湧き上がってきます。
それは初春の陽だまりにこそ似つかわしい光景に思えます。

安静を強いられ、摂取カロリーを制限され、うまいものを食うなど望むべきもない。
ベッドに寝転び本を読むか、あるいは談話室でテレビを見るか、
それくらいしかすることのない日々。
昨日と今日、今日と明日に何の違いもない、きわめて平板な日常。
それは労役を伴わない、懲役のようなものです。
そんな中、この小鳥の訪問は、心踊り、癒されるものでした。

私にとって「メジロ」という鳥は特別な存在です。
それは今でも
あの海辺の高台で過ごした日々の記憶に直結しています。
私の中で何故に特別に鳥たちに思いが移るのか
そのわけがわかりました。

今まで極力その記憶を消そうとしていた日々でしたが、
5年という節目のような年月を経て、ようやく著すことのできる状況になりました。
posted by renn at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 湘南 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月26日

茅ヶ崎・高砂緑地公園

先日書いた記事の中で、「茅ヶ崎高砂緑地にある公園」の車止め上の鳥たちにも衣装が施されていたと記したのですが、記憶の中であいまいなところもあったので、
ちょっとした茅ヶ崎めぐりをしてきました。

私、車止め上の鳥たちの衣服に関し細かな分析をしたり
その道の大家になろうとする者でもないので、さらりと流しますが
車止めはこんなものです。

tigasaki_tori.jpg

この場所に立っていると、いやが応にも目に入る、素晴らしい色の氾濫があります。
晴天でもあたりを薄暗くするような、立派な黒松が林立する遊歩道を縫うように進むと
奥に茶室があり、そのささやかな庭には立派な枝振りの梅がいくつも配されています。
その日は写真愛好家然とした多くの壮年男子が、銀塩フィルム形式の、その本体とはかなりアンバランスな長すぎるレンズをまとった一眼レフカメラを三脚に立てて構えていました。

ume.JPG chasitu.JPG

緩やかな台地を回廊のような遊歩道が続いています。
先には茅ヶ崎美術館があります。
一角に
八木重吉の詩碑があります。

sihi.JPG

 

虫が鳴いてる
いま ないておかなければ
もう駄目(だめ)だというふうに鳴いてる
しぜんと
涙がさそわれる

碑に刻まれたこの詩以外にも
気に入ったものがありました。

不思議(ふしぎ)

こころが美しくなると
そこいらが
明るく かるげになってくる
どんな不思議がうまれても
おどろかないとおもえてくる
はやく
不思議がうまれればいいなあとおもえてくる


陽遊(かげろう)

さすがにもう春だ
気持も
とりとめの無いくらいゆるんできた
でも彼処(あそこ)にふるえながらたちのぼる
陽遊のような我慢しきれぬおもいもある

私、わが国の現代詩については暗く
この詩人についてはよく知らなかったのですが、
茅ヶ崎・南湖で療養、結核により29歳で夭折
という事実に衝撃を受けました。
帰宅して青空文庫をのぞき、すべての詩句を浴びてみました。
「貧しき信徒」・・・病床にて書き連ねられ、完成を見ないまま
彼は逝ってしまいました。
前作よりも完成度は低いのでしょう。
しかし心からのうたが感じられました。

−つづく−
posted by renn at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 湘南 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月20日

春を待つ鳥たち

まだまだ寒い日が続きます。
「夜明け前が一番寒いのだ」と云う金言もあります。

金言と云えば、
「月日は百台の価格にして行き買う人もまた旅日となり」
などと・・・思いっきりIME任せに打ち込んでみましたが、
そういう問題ではなく、
来るべき春についてのことです。

「独楽は倒れる瞬間、最も大きく揺れる」
それに似たように
季節も終焉を迎える時には大きくその針を振るようです。
一昨日、もう梅も咲こうかと云う時節にもかかわらず
関東首都圏では最後の雪の狂宴がみられました。
私といえば、露出した両頬及び目じりあたりに厳しく切り裂く烈風を浴びながら
江ノ島界隈を流していました。
夕暮れ時、あまりの寒さに人もまばらな州鼻通りを通行中
心癒される光景を目にしました。

オリジナルの車止めはこんなものです。
tori_original.JPG

ステンレスの蝕感が妙に透き通っていて、
肌寒さを感じずにいられないものです。

一方江ノ電江ノ島駅の入り口の車止めはこんな感じです。
心優しき人が鳥達の肌寒さに心を痛め、
織ってくれたものです。
enosima (1).JPG


enosima (1).JPG


シャレとか遊び心も感じますが
なにより、ここに素朴な気持ちの発露−
「木枯らし吹いちゃ冷たかろうて、せっせと編んだだよ〜♪<後略>」
的な割と重い感情の具合−
を感じるのです。
こんなところに「まだこの国も棄てたモンではないな・・・」と感じる要素があります。
(実はこのような趣向は各地でみられるものです。
―私の知るところでは茅ヶ崎高砂緑地の公園入り口、車止めの鳥たちも同じような衣装をまとっていました。)
ただ・・・そいつらはチト出来が悪過ぎるようで、江ノ島のこの鳥達のような、
「母さんの歌」的情緒を醸し出すまでにはなかなか至りませんが・・・。

詳細:江ノ電江ノ島駅入り口に2基の車止めがあります。
この広場に隣接するキオスクに以前勤めていた人が、
施してくれた、心温まる世界です。
鳥達の衣装は何パターンもあるようで、後日訪れた際には別のものに代わっていました。。
posted by renn at 23:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 湘南 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする