まずは小坪の魚屋に向かったのですが、
店の前の通路にはおよそ50人にもなるでしょうか、長蛇の列がすでに形作られております。
魚屋の前の細い道に車で進入すると、わざわざ雇ったのでしょうか、制服を着たガードマンが交通誘導をしており、信号を曲がるとすぐに制止され、誘導を受ける始末。
この光景を見て、一瞬にして、ここから抜け出そうと決め、店横の道にけつを突っ込み
Uターンしました。まともに買い物ができる状況ではなさそうです。
続いて藤沢の名店ビル地下に向かいました。
ここの魚屋も安く、大量に買うときに重宝しております。
しかしここもかつてない人の群れで沸きかえっておりました。あいにく地のものはほとんどなく、商品内容が正月用にシフトしてしまっているようで、数の子、エビ、タラバガニなどが豊富でした。
おっちゃんや、おばちゃんと一緒にかごをぶつけ合いながらショーケースに群がり、
バチマグロやぶりやタコなど数点を購入しました。
実はここに来るのも久しぶりです。
幼少の頃、近くの一番大きな町がここ藤沢だったため、
休日にはよく訪れておりました。
正月前の買出しももちろんこの界隈でした。
当時は名店ビルが買い物の中心であり、
その後OKが大々的にオープンしました。
おやじやお袋の買い物についていき、細かなものを買ってもらったり、
昼食にさいか屋のレストランに立ち寄ったり、そんな些細なことが、えもいわれぬ悦びでした。
街道の佇まいを残す大きな道に、多くの店舗が庇を出し軒を並べていた界隈に、片瀬ゴマだけを扱っている店がありました。
買い物の折、荷物を持つお駄賃として、独楽やひもを買ってもらったことを覚えています。
(独楽といえば神奈川県では、大山ゴマのほうが主流のようです。
小学校3年のとき大和市に転居し、そこでみなが回していたのが、この大山ゴマです。
色使いはきれいなのですが、材質がよくないのか実際勝負する段になると、片瀬ゴマの敵ではありませんでした。芯を削り重心を低くし、ベアリングをまとった、わが愛器は幾多の大山をかち割ったものです。)
片瀬ゴマ詳細
今では独楽だけを扱っている店などあるわけもありません、昔の記憶を総動員してもそれがどの辺りにあったのかさえ思い出すこともできません。
(店や、商店街の辺りの様子ははっきりと記憶に残っていますが、その情景と現在の風景はあまりにも変わってしまったため、結びつけることは容易ではありません。)
全国的にいえることなのでしょうが、牧歌的といえるような個人商店の連なりも、年々その数を減らしています。資本を多く投下し、多くの人を使い、多くの客を呼び込むことが、高度に発達した現在の資本主義社会では、重要なことなのです。
個人商店が大規模小売業に凌駕されていくのは世の流れです。
ここ藤沢で、唯一昔の断片を残していると思われるのが、名店ビルから丸井へと続く地下街のあたりです。忙しい最中、買い物に来て、まさに喧騒や狂騒の只中にいるのですが、どうも感傷にとらわれてしまった様です。
そんなこんなで、買い物の後は、古久家で昼食を摂ることにしました。
藤沢では最も古参といえる中華料理屋です。
オーダーは、何時もここにくるとおやじが好んで食べていた、サンマー麺とビールです。
ゆっくりと麺をすすりながら、しばし昭和40年代の空間に還っていきました。。

