ひとりの命は、全世界、
全地球のすべての生命と等しく、
重要である。
反戦を訴える運動の中で絶えず語られたこの思想は、
いまでも生きているのでしょうか。
核や、最新鋭兵器による大量殺戮。
人間一人ひとりの重みがだんだん軽くなる
そんな中、平和を訴えるひとつの方策として、
この表現が生まれてきたように思います。
時として、自己中心的に聞こえるかもしれませんが、
自分の命、これは突き詰めて考えれば、自分だけのものなのです。
その大切を実感し、かけがえのないものだと思い、
育み、万難を排して守っていく。
それこそ自然の状態で、人類が固有に持っている、
「平和」の根本概念です。
そんな大切な命を、ほかのものに比べること、
人がその重みを量計すること。
これは多分に不遜なことだと思いますが。
自分の命を大切に思わないものに
他人の命を、世界中の人の命を語る資格はないと思います。
「自己を犠牲にして」、「身を挺して」
肉親や家族、友人への思いを離れて語られる場合、
そこに多少とも「ナルシシズム」が入ってはいないと
言い切ることができるでしょうか。
再び起こった日本人人質事件。
人の命と引き換えに、自衛隊の撤退を要求する
アラブ武装組織の行為には、非常な怒りを感じます。
このような姿勢から生まれてくる平和は、一方で憎しみを生み出します。
その点彼らが忌み嫌うアメリカ合衆国のやっていることと代わりはないのです。
自衛隊の駐留にも無理があり、私自身撤退してほしいと望んでいます。
香田さんは遺体で発見されました。
バクダットへ向かう際の所持金は100ドル。
「バス停で出会った人のところに泊めてもらえばいい」
そんなことを言っていたそうです。
多くの人の気使いと忠言を無視してかれはバクダットへ向かいました。
真実、それは時として、危険と紙一重のところに存在する場合があります。
踏み込まなければ、本当のところにたどり着けない。
しかし、踏み越えてしまうと、命を落とすことになる。
そのぎりぎりのところを知覚するのは、
自身の天分もありますが、相当の経験を必要とするものです。
http://www9.plala.or.jp/style_council/tabi/mokuteki.html
自分探しの放浪者は、自分を見つけることができたのでしょうか。
世情を学ぶことも重要ですが、
自分を大切に思う気持ち。
何よりも彼はそれを一番先に学ぶべきでした。


